今年、大注目のルーキーといえば楽天の宗山 塁(広陵)だろう。宗山は世代No.1遊撃手と称され、ドラフト会議では5球団が競合。抽選の末、楽天に入団した。そんなスーパールーキーは春季キャンプを離脱することなく完走し、オープン戦では15試合に出場。打撃が大爆発とはいかなかったが、打率.231(52打数12安打)の成績を残した。本塁打は出なかったものの、二塁打が1本、三塁打も2本放っている。
その宗山は無事に開幕一軍入りを果たした。三木 肇新監督が、村林 一輝(大塚)や小深田 大翔(神戸国際大付)といった選手がいる中で、どのように起用するのか注目が集まる。
さて、大注目の大型ルーキー・宗山と同じく、「大卒・遊撃手・ドラフト1位(自由獲得枠)」だった鳥谷 敬(聖望学園)は、どのような1年目を送ったのだろうか。振り返ってみたい。
鳥谷は2003年のドラフト会議において、自由獲得枠で早稲田大から阪神へ入団した。ルーキーイヤーとなる2004年の開幕戦(巨人戦)では「7番・遊撃手」としてスタメン出場。プロ初打席は上原 浩治(東海大大阪仰星)の前に空振り三振だったが、4打席目でプロ初安打を放った。しかし、当時アテネ五輪代表でもあった藤本 敦士(育英)が在籍していたこともあり、すぐにレギュラーに定着することはできず、一時は二軍も経験した。その後、五輪から帰国した藤本が調子を崩すと、鳥谷はスタメンの座を勝ち取り、この年は一軍で101試合に出場。打率.251(235打数59安打)、3本塁打、17打点の成績を残した。
当時の阪神には、鳥谷が入団する前年に初めて規定打席に到達したレギュラー遊撃手・藤本がいた。鳥谷はその藤本との争いを制し、シーズン後半からレギュラー格となり、翌年以降は不動の遊撃手となったのである。完全なレギュラーとはならなかったものの、1年目から多くの出場機会を得るだけの結果を残していたわけだ。ちなみに連続試合出場の第1歩も同年である。
同様に、宗山が入団した楽天にも、前年に初めて規定打席に到達した村林がいる。鳥谷と状況が似通っているが、宗山も鳥谷と同様に先輩遊撃手からポジションを奪い取ることができるだろうか。どのようなルーキーイヤーを過ごすのか楽しみだ。