プロ野球は開幕して3週間ほど経ちました。今年こそ大飛躍をしてほしいスラッガーがいます。それが日本ハムの野村 佑希内野手です。花咲徳栄時代は17年夏の甲子園優勝に貢献し、高校通算58本塁打のスラッガーとして注目されました。昨年までのプロ6年間で、一軍通算31本塁打、通算345安打を記録しています。安打数は野村選手と同じ00年世代の野手では3位に入る数字であり、同世代の選手の中では一歩リードしている選手です。ただ、日本ハムファンの反応を見ると「もっと活躍できる選手」などという声が聞かれます。

 今年は新庄剛志監督の期待を受け、開幕から4番として起用されています。多くの日本ハムファンから期待を受ける野村選手はいかにしてプロの舞台にたどり着いたのか、振り返ります。

荒削りだった1年で急成長、世代屈指のスラッガーへ

 野村選手を初めて見たのは1年秋の地区予選でした。いきなり4番を任された野村選手ですが、当時は今と比べると荒削りな打者だった記憶があります。身長は180センチを超えて体格も良かったですが、スイングは遠回りし、スイングスピードも鈍く、空振り三振や凡打も多かったです。チームは栃木開催の秋季関東大会まで進出しますが、慶応にコールド負けを喫し、野村選手も3打数0安打と結果を残せませんでした。

 ただこの大会は収穫になった部分が多かったと野村選手は語っています。

「レベルの高い投手と対戦できて何が足りないのかを自覚できてよかった大会だったと思います。インコースが苦手でしたので、スイング軌道を見直しました」

野村選手が取り組んだのが逆方向へのバスターバッティングです。バントの構えからタイミングをとって、インコースも、アウトコースも逆方向へ打ち返す打撃を繰り返します。小さい動きで逆方向へ打ち返すため、自然とスイングはコンパクトになり、野村選手の打撃フォームは矯正されていきました。花咲徳栄名物のハンマートレーニングも野村選手のパワーを引き出しました。ハンマーを持ってタイヤを叩く練習なのですが、このポイントについて野村選手はこう語ります。

「やり方は真上から振り下ろして、下にあるタイヤをハンマーでたたくのですが、この時、注意していたのは振り下ろしたときに、しっかりと受け止めること。衝撃を受け止めて叩くことが大切です。繰り返していくとインパクトの強さが出てきて……。こんな飛距離が出てくるのかと思いました」

 冬の練習で成長を実感した野村選手は関西遠征で現在、DeNAの中継ぎで活躍する中川 虎大投手(箕島)から本塁打を打って自信を掴み、県大会までの練習試合では12本塁打を放ち、才能を開花させました。続く春の県大会で4本塁打、関東大会でも1本塁打を記録し、関東を代表するスラッガーへ成長します。

 そして夏の甲子園では2回戦の日本航空石川戦と準々決勝の盛岡大付戦で本塁打を放ち、全国舞台でも恵まれた才能を発揮、優勝に貢献します。この時は1年秋の打撃フォームとは別人となっており、懐が大きい構えからコンパクトなスイングで本塁打を量産しました。打てる球種、コースが広がり、スキのないスラッガーへ成長していました。

夏の甲子園のあとに行われた秋季埼玉県大会での内容はほかの選手と比べても別格でした。コンパクトなスイングから鋭いライナー性の打球を連発し、少しでも相手のスキが見えれば、一気に次の塁に陥れる走塁姿勢を見せ、野球選手としての進化が見えました。野村選手は投手も兼任していて140キロ台の速球を投げていました。

 その後、野村選手は順調に本塁打を積み重ね、高校通算58本塁打を記録。12球団から高く評価され、迎えたドラフトでは日本ハムから2位指名を受け、将来のスラッガー候補として、その道を歩むことになります。

怪我でブレイクを逃したプロ6年間。7年目は全盛期のきっかけになる1年を

1 2