目次

[1]なぜダンテは大阪桐蔭に進むことができたのか?
[2]優勝を実感できたのは学校に帰ってから

優勝を実感できたのは学校に帰ってから



大阪桐蔭時代の山本ダンテ武蔵

 当時の外野手には青柳 昴樹(元横浜DeNA)、藤井 健平(NTT西日本)がおり、上級生との勝負に勝たないとベンチ入りは出来ないと悟った。まずそこでダンテが目指したには声で目立つことだった。

「最初は明るく元気よくやっていこうというスタイルで、声出し要因でも、打撃は目立つようにしていこうと思いました」

 現在のダンテは打席から離れると仲間に対し声かけ、鼓舞する姿も見られる。こうした姿は高校時代からの積み重ねなのだろう。

 高校2年夏まではベンチ外だったが、ようやく打撃力でアピールに成功し、2年秋から初のベンチ入りだけではなく、主軸打者として活躍。近畿大会ベスト4入りを果たし、センバツ出場を決める。

 野球を始めた時から憧れにしていた甲子園。初戦の宇部鴻城戦では感情の昂りを抑えることができなかった。

「言葉に言い表せない高揚感がありました。自分が小さい時から夢見てきた場所なので、気持ちが舞い上がっていたと思います」

 センバツ甲子園では4番ライトに座ったダンテは18打数6安打3打点の活躍で優勝に貢献した。決勝戦では秋に敗れた履正社と対戦したが、怯む気持ちはなかった。

「秋は負けていましたけれど、引いている気持ちはなかったです。大阪桐蔭はこれまで甲子園決勝で負けたことがないので、監督さんを信じていたので、不安はなかったですね」

 センバツ優勝時の感想について次のように振り返る。

「優勝した直後は喜びはするんですけど、なかなか実感はなかったですね。大会が終わって、学校に帰ると、みんなから『すごかった』、家族に『おめでとう』といわれてだんだん優勝の時間が湧いてきた感じですね」
センバツが終わっても、夏は挑戦者の気持ちで練習に臨んできた。

「センバツの優勝を良い意味で忘れることができて、みんな意識高く、自分自身、良い練習ができた実感があります」

 そして夏も甲子園に出場したが、3回戦で仙台育英に敗れ、高校野球を終えた。改めて振り返ってダンテは「負けてしまったことは絶対に悔いになります。ああしていけばよかったと思うことは頭によぎります」。

 高校野球を終えて、ダンテは関東の強豪大学でプレーしたい希望があり、それを西谷監督に伝えたところ、「國學院大さんから話がきているぞといわれまして。自分自身、来てほしいといわれたチームにいきたいと思っていたので、ぜひ國學院大でやりたいと思って、進学を決めました」。 さらなる高みを目指し、ダンテは東都一部・國學院大のプレーを決意する。

(記事=河嶋 宗一