目次

[1]早川隆久に憧れた高校時代
[2]ドラ1と日本一を狙ったラストイヤー

 今年、26年ぶりの国立大ドラ1を狙う佐藤 隼輔(筑波大)。最速152キロの速球、スライダー、チェンジアップと現代の投手では少ない球種ながら、首都大リーグで通算10勝、防御率1点台と圧巻の好成績を残している。そんな佐藤はいかにしてドラ1までかけのぼったのか。これまでの歩みを振り返っていきたい。


大学2年の日本代表経験が大きな経験に


 仙台高時代からプロのスカウトに注目され、県内屈指の左腕として騒がれた佐藤の実力は入学当時から抜きん出ていた。幸運だったのは筑波大は球数を管理して投手を守る環境があったことだ。当時、川村監督に伺った時、70球〜80球が限度だったと振り返る。

「特にいいピッチャーでも体が細いと7,80球が限度かなと、オープン戦などで気付いたんですね。そうなると、これ以上は投げさせないようにしようと。そういう使い方をしてました」

 1年春は登板なし、1年秋から登板し、25イニングを投げて無失点という圧巻のデビューを果たす。

 ブルペンだと30球〜50球で少ない球数で勝負するスタイルで実力を積み上げていく佐藤は大学2年春に日本代表となった。この経験が非常に大きな経験だったといえる。

「そこが1つ自信になりましたし、大きな経験になりました。インコースにストレートをしっかりと投げきった上で、スライダーを織り交ぜる。自分のボールをしっかりと投げられば、どんな相手でも抑えられることは自信になりました」

 また憧れの早川 隆久木更津総合-早稲田大)と一緒に代表入りできたことも大きな経験となった。

「話はそこまでできなかったのですが、日常生活、宿舎の生活を見ていて、しっかりとケアをしていて、几帳面な方だと思います」

 その後も安定したパフォーマンスを残すものの、肘の怪我をする時期があった。

「フォーム的なものも見つめ直し、テークバックをもっとコンパクトにするとか、見つめ直したのもありましたし、体作りに取り組みました」

 昨年は新型コロナウイルスの影響で、春季リーグは中止。グラウンドで活動できない時期があり、その時は近くの公園で練習することもあった。6月から班分けにして、グラウンドでの練習を再開。8月から本格的に練習を再開した。投球練習も本格的にできるようになったのもその時期からだ。

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