Column

県立須賀川高等学校(福島)

2012.03.11

野球部訪問 第60回 県立須賀川高等学校(福島)

須賀川を変えた木村監督就任

大垣南

“生き生きと練習する須賀川ナイン”

 東日本大震災から4ヶ月後、〝特別な夏〟となった昨夏の福島県大会でファイナルステージに駒を進めたのは、常勝・聖光学院。そして、もう一校は、県立の須賀川高校だった。

須賀川は1970年(昭和45年)に南東北大会の決勝に進んだことがある。その当時は、宮城と福島の2県で甲子園への切符が一枚。須賀川は、県大会を勝ち抜き磐城とともに南東北大会へ進むと、いずれも宮城県代表チームを破り福島同士の決勝戦。磐城に敗れ甲子園には行けなかった。それ以来、須賀川高校はなかなか勝ち上がれなくなった。

そんな須賀川高校へ2006年に赴任したのが数学教諭の木村保だった。南東北大会の決勝の相手・磐城の出身であり、しかも、その1970年に生まれた人物。
大学卒業後、2年目に採用試験に合格。最初はいわき光洋定時制に赴任し、定時制の甲子園を目指した。次に安達東を経て、地元・いわき市の内郷(現・いわき総合)に赴任。

そこで、昭和45年当時、須賀川高校を率いていた助川隆一郎監督(故人)と6年に渡って、〝監督・助川、部長・木村〟のコンビを組んだ。そして県内屈指の名指導者である助川監督から「高校野球の神髄」を学んだ。

そんな助川監督から「須賀川は間もなく100周年を迎える。でも、野球も生徒指導もうまくいかない。何とか力をかしてやってくれ」という言葉を送られ、「私にできることであれば一生懸命やります」とやってきた木村は、須賀川にきた当初のことをこう振り返る。

「なんていうんでしょうかね、目が餓えているというか、泳いでいるというか…。私の出身のいわき市など浜の子たちは結構さばさばしているんですが、中通りの子たちはまた違う気質でしてね。いいものを持ってはいるんでしょうけれども、それをうまく出せないというか、すれているというか…。この純粋な思いを磨いて輝かせるにはどうしたらいいのかと、いきなり壁にぶち当たりました」

試合をやっても、相手チームのシートノックをみて「すげー」とか「お~!」と驚くだけ。そこに勝とうという意識どころか、追いつこうという意識も見えない。当然、就任1年目の秋は、あっという間に負けた。それも、コールド負けだった。

[page_break:須賀川を変えた木村監督就任02]

゛木村監督”

そんなチームをみて、木村監督はこう考えた。「きっと、須賀川史上一番弱い時代。それなら、原点に返ろう」頭をひねり、考え、さっそく部訓を3つ掲げた。

・〝Play Hard〟
全力疾走 全力プレー
走姿顕心(走る姿に心が顕れる)
明るく元気にひたむきに全力プレーする

・〝凡事徹底〟
当たり前のことを当たり前に行う
野球をシンプルに考え、常に基本に忠実なプレーをする

・〝部員親和〟

 
常に思いやりのある言動をとる。
真の仲間となるために、日頃の取り組む態度で信頼を深める

さらに、何を目標に野球をしているのかが見えない部員たちのために、明確な〝目標〟も設定した。
・〝野球〟というスポーツを通じて、強い心と身体を創り、誰からも信頼される人間を目指す。
・ 甲子園出場

また〝須賀川高校野球部の五心〟も作った。

一、 いつでもどこでも誰にでも〝素直な心〟をもって元気な挨拶をする。
二、 過ちは誰にでもある。決して誤魔化さず〝反省の心〟を持って次に生かす。
三、 周りに気を配り、人から言われる前に自ら行動する〝奉仕の心〟を持つ。
四、 慢心な態度を出さず、常に〝謙虚な心〟を持ち、さらに向上しようと心がける
五、 野球ができる喜びと家族を始め、後援会、OB会、学校、地域など支えてくださる方々に常に〝感謝の心〟をもって言動をとる。

より具体的にいえば、〝文武両道〟〝学校のリーダー〟〝服装徹底〟 この3つ。
〝文武両道〟学生の第一義は学業。勉強をしっかり、授業にも積極的に参加すること。
〝学校のリーダー〟自らルーム長や副ルーム長に立候補し、クラスのリーダー、または学年のリーダー、そして学校のリーダーとして他の生徒を引っ張っていくこと。
〝服装徹底〟制服やユニホームの着方、帽子のかぶり方もきちんとすること

木村監督が記した紙には、もっと詳しく明記してあるが、それは「書いて理解して頭に入れないと行動に移せないから」。監督やコーチが毎日それを言い続けるだけでは浸透していかない。紙に書いて、選手一人一人が常に目を通すこと、口に出して脳に焼き付けることで、次第に徹底できるようになっていった。

さらにこんなこともした。朝7時半からは学年ごとに分かれて清掃作業だ。例えば、1年はグランド整備、2年が学校周辺清掃、3年が校舎内清掃など。
「常に周りから見られるということにも慣れさせていかなければならないし、いいことをするのは恥ずかしいことではないんだということも教えていきました」と木村監督。

最も上に掲げた〝Play Hard〟は、日本プロ野球が昭和11年に7球団で発足したときに「どんなときも一生懸命プレーする」と掲げた言葉でもある。それは野球以外にもあてはまる。技術、体力以前の〝人ととして〟の部分の徹底だったが、これをチームに浸透させていくうちに、チームは少しずつ変わっていったのだ。

[page_break:変化のきっかけ]

変化のきっかけ

“須賀川ナイン”

 翌2007年、須賀川高校は創立100周年という記念行事の一つとして、須賀川OBたちからの計らいで、なんと、全国屈指の強豪、東京の帝京高校を招いての招待試合をすることになった。

「秋、あっという間にコールド負けしたようなチームですよ。あちらには、大田阿斗里投手(横浜DeNAベイスターズ)、中村晃選手(ソフトバンク)、垣ヶ原達也投手(青学大)…すごいメンバーがいて、春の甲子園にも出ているチーム。前田監督にはこちらのチーム事情をお話しさせていただきましたが、それでも来て試合をしてくださるとのこと。力では到底及びませんが、せめて〝人として〟の部分では失礼がないよう、さらに日常生活から〝部訓〟や〝五心〟を徹底しました」(木村監督)

そして2007年6月、100周年記念の招待試合は無事行われた。結果は、18対2、18対1の大敗。だが、須賀川高校野球部には、とてもとても大きな収穫だった。

帝京高校の選手たちは私たちの前で三合飯をガツガツ食べるんです。中には、食べられなくて、涙を浮かべながら、また吐きながら食べている選手もいました。それを見て、うちの選手たちは、『帝京の選手たちも何もせずこんな大きなくなっているわけではない。こうして食べる努力もしてあの体になっているんだ』ということを目の当たりにしたんです」(木村監督)

ただ強いだけではなく、野球以前の部分が素晴らしかったところも、みんな感心してという。「うちのような弱小ですから、相手はメンバーを落としてくるかもしれないとも思っていたんです。でも、あの選抜甲子園で戦っていたメンバーがそのまま出てきてくれた。そして全力で戦ってくれた。大敗はしましたが、力を抜かずに戦ってくれたことが、僕らはにはすごく嬉しかったですね」(木村監督)

そのときから、選手たちは、より〝全力疾走・全力プレー〟という意味を理解していったという。

その後も、常に念頭には〝部訓〟と〝五心〟。学内でリーダーになったり清掃作業をすることで、木村監督は「選手たちの視野が広がっていくのもわかった」といい、選手たちも「今まで見えなかったものも見えるようになっていったし、気づかなかったことにも気づけるようになっていった」と言えるようになっっていった。
その成果は野球にもつながり、練習や試合に生きるようになっていった。そして木村監督がきて3年目には、初めて県大会出場。少しずつだが階段をあがり、だんだんと戦えるチームになっていったのだ。

木村監督の考えとして、「できることは徹底してやる。だが、できないことは無理にやらない」この考えもはまっていた。
例えば、野球でヒットは3本はなかなか続かない。だから、その回の先頭が粘って粘ってなんとか塁に出ることができたら、次打者はきっちり送り、つないで三塁に進め、相手のミスを誘って1点を取る。
守りでも、例えば今年の内野の守備力でゲッツーを取る力がないと思えば、ファーストで1つのアウトを取る練習の方に時間を割く。自分のチームのキャッチャーに二塁送球でアウトにする力がまだないと判断すれば、試合前のノック時にも二塁送球練習はさせず三塁送球練習を多くさせる。
「少ないチャンスをものにし、徹底的に守り切る」これは、かつて、甲子園準優勝まで上り詰めた、木村監督の母校・磐城がやってきた野球だった。

[page_break:2011年夏 そして 来たる2012年シーズンに向けて]

2011年夏 そして 来たる2012年シーズンに向けて

“須賀川ナイン”

そして木村監督がきて5年目の秋、2010年秋には、県大会ベスト8入り。「さあ、今年こそ勝負!」そんな矢先の2011年3月、東日本大震災に見舞われた、グランドはひび割れ、部室も崩壊しそうになった。福島第一原発事故放射能漏れの影響もあり、練習ができなくなった。だが、大好きな野球を奪われた選手たちは、誰に言われるでもなく、自ら瓦礫撤去のボランティア活動に奔走していた。木村監督は「今まで言ってきたことがわかってもらえていたんだ」とすごく嬉しかったと話す。

そして2011年夏。

須賀川は、毎試合厳しい試合ながら、最後まであきらめない粘りの野球でどんどん勝ち上がった。準決勝の小高工戦では1点

を追う9回に、四球、犠打、ヒット、さらにヒットで2点取って逆転勝ち。ついに41年ぶりの決勝進出を果たしたのだ。地元・須賀川は多いに盛り上がった。これを待っていたのだ。

決勝では歳内宏明擁する聖光学院に4対0の完敗。劣勢のさなか、ケガのため三塁コーチャーを務めていた林和茂主将が代打で出場し、執念のバントヒットを決めて出塁したが、それも歳内投手の意地ともいえるけん制に刺されアウト。糸口を完全に封じられ、悲願の甲子園出場はならなかった。〝特別な夏〟はここで終わった。

新チームのキャプテンになった渡辺俊樹はこう話す。
聖光学院は、自分たちとは比べものにならないぐらい上の力がありました。一瞬のすきを狙う野球は僕たちも目指してやってきたけれど、相手は僕たちの上の上をいく野球をしていました。一つ一つのオーバーランであったり、声の出し方であったり。でも、だからといって太刀打ちできないとは思いたくないです。あっちがあれだけやっているなら、それ以上のことをしていこうと。意識を高くもって、効率がよく質もいい練習をしていくこと。それをやっていけば、勝てるチャンスは出てくると思う。ちょっとした好きをついて、巡ってきたチャンスは逃さないで、粘りとあきらめない野球で勝っていきたいです」

2月、須賀川高校の練習をのぞくと、餓えたような目をしている選手も、泳いだような目をした選手も今はいない。生き生きと、目を輝かせて練習をしている。時に監督から選手へ、選手から選手へ、キツイ言葉も浴びせるが、同時に、好きなことを一生懸命できているという喜びも感じながら練習に打ち込んでいるのがよくわかる。

まずは、昨年は震災で開催できなかった春の大会に向けて、やるべきことを一つ一つこなしていくこと。そして、今年こそ福島の夏を制するべく、自分たちの野球をしていくだけだ。選手たちの熱くて強い目が印象的だった。

(文・写真=瀬川ふみ子

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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