今治工vs丹原
扇の要からナインを鼓舞する今治工業主将・小川滉介(2年)
ぶれない全力疾走に進化の「狙い」で、今治工業、初の秋季四国へ
今年3月、村上満雄監督が定年退任してから約半年。初の秋季四国大会出場を手にすべく[stadium]坊ちゃんスタジアム[/stadium]に乗り込んできた今治工業のコンセプトは、いい意味で全くぶれていない。攻守交代、凡退時、伝令、ランナーコーチ、果てはボールボーイに至るまで徹底された全力疾走。応援席やベンチの「全力!」の声に呼応して走りに走る彼らの姿は「代々受け継がれてきたので切るわけにはいかない」(主将の小川滉介・2年)並々ならぬ決意の程が如実に現れるものだ。
それどころかこの秋、今治工業はさらなる進化を遂げていた。一例をあげれば1回表に一挙4点を奪った先制攻撃のシーンである。
この4月、部長から指揮官へと転じた田川文俊監督から「小笠原(嵩・2年)のシュート気味に入る外のストレートを狙っていけ」と指示を受けていた彼らは忠実にミッションを遂行。
一死一・三塁から「アウトコースのストレートを打った」4番・生谷大成(2年)の一二塁間先制打も、一死満塁の走者を一掃した6番・木村優作(2年)の中越二塁打も、「外のボールをきっちり反対側に打たれた」と丹原・仙波秀知監督に兜を脱がせるほどの徹底した「狙い」あってこそ生まれたものである。
守備面でも「狙い」は存分に発揮された。4番・越智達矢(1年)をはじめストレート系には無類の強さを発揮する丹原打線に対し、伊藤銀次(2年)、小川のバッテリー選択したのは「緩急をつけた攻め」。130キロ前後のストレートをより速く見せるべく、90キロ台のカーブを有効に使い、時には110キロ台のシンカーを決め球とすることで、相手を失策による1点に封じたのであった。
これで1946年の創部以来66年目にして初の秋季四国大会出場をゲットした今治工業。創立70周年となる同校の歴史に残る壮挙は、土佐に代表される全力疾走起源の地、高知での躍動をも意味している。
(文=寺下友徳)