最下位、優勝、チーム崩壊……波乱万丈のプロ野球人生を送った阪神V戦士「野球指導者となって伝えたいこと」
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平下 晃司氏
未経験の分野は教えない、“本物”に聞く
最近は技術的なことを教えるYouTubeなどの動画も増えてきました。ただ、取り扱いには注意してもらいたいです。良かれと思って取り入れる選手もいますが、自分の身体に合っていないのに取り入れても効果はありません。合わないものをやってもパフォーマンスは発揮できないと思います。僕は、子供たちの次のステージも考えながら、技術ではなくいろいろな練習法を教えたいと思います。
もうひとつ、僕が課しているルールは、「自分がやっていないことは教えない」こと。僕は打者について教えることはできますが、キャッチャーのことは教えない。もしキャッチャーから「配球のことを教えて」と言われた場合、元阪神の選手で仲が良い狩野(恵輔)や浅井(良)に電話するんです。質問して返ってきた答えをその捕手の子に話をします。
「以前質問したことについて、元阪神の狩野がこう答えてくれたことなんだけど、どう?」と話すとその子も納得してくれます。
野球だけで生きていける時代ではない
もうひとつ野球指導者として、中学硬式の東大阪長田ボーイズの監督をしていますが、学業優先でやっています。定期試験の結果が悪かったり、学校の課題を提出しない選手は練習禁止です。一中学生として、勉強をしっかりとこなすのが本分ですから、野球優先になってはいけません。
今は強豪校でも5教科の点数がある程度取れていないと、入学できません。僕の時代は野球が上手ければなんとかなった。しかし今は最低限の学力があるかどうかで進学先が決まります。
中学校のテストが近ければ、土日の練習も参加しなくて大丈夫です。テストがあっても、練習に参加させるチームがあると聞きますが、絶対にやらせません。練習をもっと増やせばうまくなる可能性はあるでしょう。
でも時代はそうではなくなっている。大学にもしっかりと行ける学力があって、優秀な成績を収めていれば社会人にいった時、いろんな選択肢を持って仕事ができます。
僕自身、勉強を大事にしてこなかったので、プロ野球選手を引退したあと、苦労しました。できる仕事の幅が限られてしまうんです。野球をやったからこそ今の仕事ができますが、勉強をしていればもっといろいろな仕事ができたのに、という後悔があります。
僕だけではなく、セカンドキャリアで苦労した選手の話は良く聞きますし、野球しかやっていない選手は挨拶も営業もデスクワークもすぐできません。中には犯罪を犯してしまった人もいます。
僕のチームのエースは5教科で、(500点満点中)450点をとります。今の中学生は本当エラい。ある日、選手たちの勉強の課題を見させてもらいましが、僕たちの時代よりずっと難しい。塾にも通って、練習にも参加して……。
僕の野球人生は人に恵まれたと思います。その人から学んだことや、その人たちの野球の姿勢を、自分自身の失敗や苦労を伝えながら、選手を育てていきたいと思います。
平下晃司(ひらした・こうじ)
宮﨑・日南学園時代は左の強打者として活躍し、1995年に選抜、夏の甲子園出場を経験。同年、近鉄バファローズから5位指名を受け96年から00年の4年間プレー。トレードで阪神に移籍し(01年から04年途中)、その後ロッテ、オリックスを経て07年に引退。現在は東大阪市にある「ブリスフィールド東大阪 スポーツアカデミー」のベースボールスクールのヘッドコーチを務めながら、東大阪長田ボーイスの監督を務めている。
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