「プロ志望届を出したい気持ちはあるけど…」高専に現れた“全国注目155キロ剛腕投手”が進路を明言! 先輩捕手は巨人からドラフト指名
![](https://d3gsx8ol6pujbh.cloudfront.net/2024/07/02222325/%E5%90%89%E7%95%99%E5%8B%87%E5%A4%AA%EF%BC%88%E8%BF%91%E5%A4%A7%E9%AB%98%E5%B0%82%EF%BC%89.webp)
𠮷留 勇太(近大高専)
「高校では野球をやらずに地元の高校に通って、普通に過ごそうと思っていました」
そう語るのは、この春、速球派右腕として全国に名を轟かせた𠮷留 勇太(3年)だ。
4月13日、四日市市営霞ヶ浦球場に行われた、いなべ総合との県大会初戦。ここで𠮷留のストレートは155キロを計測する。それ以外の投球でも150キロ台を連発して、一躍脚光を浴びたのだ。
高校球界屈指のスピードボールを投げる𠮷留はなぜ、近大高専という技術者を養成する5年制学校に進み、この2年数ヶ月でどのような成長を遂げたのか。また、注目が集まる今後の進路についても迫った。
こちらも読む:「就職率100%」のエンジニア養成機関から甲子園へ! 近大高専(三重)が貫く“文武両道”
中学時代の最速は126キロの「5番手投手」
大阪府大阪市出身の𠮷留は両親の勧めで小学1年生の時に「諸福スパイダーズ」で野球を始めた。当時は捕手や外野手を務めていたという。中学では井上 広大(履正社-阪神)らを輩出した「東大阪リトルシニア」に所属。ここで友人に勧められて、投手を始めることになった。
しかし、「制球が定まらないというのがずっと続いて、あまり思うように野球ができなかったです」と苦しい3年間を送る。本人曰く「5番手投手」。球速も126キロと目立つ結果を残すことができなかった。
𠮷留は中学で野球にピリオドを打つつもりだった。しかし、東大阪リトルシニアの総監督に勧められて近大高専で野球を継続することを決めた。現在は近畿大のレギュラーとして活躍している白石 晃大外野手(4年)など東大阪リトルシニアから近大高専に進んでいる選手は多く、以前からつながりのあるチーム同士だったのだ。
近大高専はその名の通り、工業高等専門学校である。エンジニアなど理系の人材を育成する学校であるが、𠮷留は決して理系科目が得意なわけではなく、そうした道にも興味があるわけでもなかった。
現在は都市環境コースの土木系に所属しており、測量などを学んでいる。学業面は順調にこなしているが、「今でもたまにしんどいことはあります」と懸命に食らいついているようだ。
フォーム改善で球速がメキメキ伸びた!
話題を野球に戻そう。中学時代に実績のない𠮷留だったが、近大高専・重阪俊英監督は入学当初から彼の素材を高く評価していた。
「入学当初からボールの強さはありました。球速以上にズドンと来るような球質でしたので、上と下のバランスをしっかり整えながら過ごしていけば、球速は上がって来るかなと思っていました」
実際、入学してから𠮷留の球速はどんどん上がっていく。入学後に行ったトレーニングの成果もあり、1年秋の県大会では143キロをマークした。
だが、当時もまだ制球難に苦しんでおり、「まだまだ自分の中では球速しか取り柄がなかったので、143キロが出た時は嬉しかったですけど、納得はいってなかったです」と本人の理想には届いていなかった。
2年生になると、最速は147キロに更新。この時点でもまだコントロールに不安を抱えていたが、徐々に成長を遂げていた。
制球力を改善するために行ったのは、フォーム改良だ。インステップと前のめりで投げてしまう癖があったため、胸を張る投げ方に変え、ブルペンではプレートの前にラインを引くことで、インステップを矯正することを意識づけて投げるようにした。
すると、3月の練習試合では150キロを計測。さらに翌月の県大会では155キロをマークして知名度が急上昇したのだった。
試合には負けてしまったが、「球の強さは自信を持って言えることだなと思いました」と自信を深めることができた。
課題だったコントロールも、春季大会が終わった頃にはようやく安定。「球速にはこだわらずにコントロールを仕上げにかかって夏の大会に挑みたいです」とダッシュ系のトレーニングやウエイトトレーニングで瞬発力を鍛えて、コントロールの向上を図っている。それでも練習試合では150キロ前後が出ており、最速の更新こそしていないもののスピードボールは健在だ。