明徳義塾vs酒田南
会田隆一郎の甲子園
3失点しながらも完投したエース・会田隆一郎(3年)には、ほんの少しの悔恨と満足感が入り混じっているようだった。
「負けたのは悔しいんですけど、最後に最高のピッチングができて良かったです」。
140キロ近いストレートとスライダー、フォークでぐいぐいと押していく。
本格派右腕としての彼のピッチングは見事なものだった。
とはいえ、 これまでの会田がその評判ほどのピッチングを見せてきたかというと、必ずしもそうではない。中学時代から捕手の下妻隆寛とともに名をはせていた割には順風満帆ではなかった。
今大会まで甲子園に出て来られなかったこともそうだが、予選がそうだったように、先発しては試合を混乱させ、救援陣のバックアップを仰ぐ会田のピッチングは不安定そのものだった。
この日の立ち上がりも、そんな会田らしいものだった。
つまり、最悪の立ち上がりだった。
先頭打者にいきなり3ボール。2ストライクまではゴキつけたが、結局、四球で歩かせた。さらには、次打者の送りバントで二塁へ悪送球。勝ちきれない投手の典型のようなピッチングをしてしまっていた。何とか二死を取るものの、6番・杉原に一塁線を破る2点適時打を浴びた。この打球は「野手がカバーしきれなかった」と阿彦祐幸監督が言っているよう、一塁手が捕れない球ではなかったが、投球のリズムが悪ければ守備のリズムが狂うのも当然である。守備を攻めるのは無理がある。
2失点で踏みとどまったとはいえ、相変わらずの立ち上がりの悪さは彼のこれまでの評価を覆すものにはならなかった。
ところが2回のピンチを乗り切ると見違える。
3回から走者を出しながらも粘り強いピッチングを見せるのだ。
特に、圧巻だったのは明徳義塾の主砲・西岡に対峙した時で、1打席目のものも含めて、5打数無安打4三振に抑えたのである。
下妻も意気揚々と話したものである。
「二人で捕った4三振。会田が良く投げてくれた。追い込んでからのスライダー、フォークが上手く決まった」
2回から7回まで0行進。立ち上がりの会田とは別人の姿がそこにはあった。
序盤は明徳義塾にあった試合の流れは、いつしか五分になっていた。さらに、会田は7回裏の第3打席では左翼スタンドにソロ本塁打を叩きこんだ。
「変化球が甘めにきたので、振りぬいた」。
会田の独壇場になりつつあった。
1点差。
同点、あるいは逆転を期待する試合展開になっていた。
しかし、野球はそれほど甘くない。
8回表、先頭の岸にセンターオーバーの二塁打を浴びると、1死三塁とされたあと、7番・宋に左翼前に運ばれて1失点。さほど悪い球ではなかったが、外の変化球に食らいつく技ありの一打を見せられ、また、突き放されてしまったのだ。
8回裏に1点を返すも、万事休す。
会田の夏は終わった。
改めて、人生とは不思議なものである。
阿彦監督曰く、この日の会田は「今までで一番のピッチングだった」そうだ。
これまで制球難にあえぎ、評判ほどのピッチングを安定して出せなかった会田が、甲子園という大舞台で力を発揮した。しかし、敗れたのだ。
“好投手は1球に笑い、1球に泣く”、とよく言われる。
この1球を制するかどうかの瀬戸際に立つのが、好投手の宿命なのだ。
「甘くいったらやられるというのがわかりました。8回表のセンターオーバーは甘かったです」
そういって会田は1球を悔いた。
少しの悔恨と最高のピッチングを見せたという満足感。
試合後の会田には二つの感情が入り交っていた。
果たして、彼はこの試合を経て、何を学び得て行くのだろうか。
会田のこの先が、ちょっと気になった。
(文=氏原英明)