聖望学園高等学校(埼玉)
2014年夏の埼玉大会ではAシードながらまさかの3回戦負け。
悔しさの中に見出した教訓とは。そして上級生重視による新チーム作りの真意とは。
一見無関係に見える要素が、じつはチーム作りの一本の軸になっていた。
「上級生」を重視したチーム作り
枝松 健太選手(2年)
「今年はバッティングをどうにかしよう、という気持ちはあります。でもそれは、上級生の質を見てから考えたことで。自分はまず守りで固めるタイプ。それで選手を選んだときに全体を見渡したら打てる選手が多かった。それだけのことやんね」
大阪府出身の岡本 幹成監督。埼玉に来てから30年近く経った今も、関西弁は消えない。その話しぶりからか、佇まいからか、どこか人間味が漂う監督さんだ。
「うちはまず上級生を見る。今年だと、夏も投げた2年生ピッチャーが2人いて、バッターも2年生で主力を打ったのが2人残った。彼らを中心にして上級生でどうチームを作るか、を考えるんです。
次に守れる選手をバーッとはめこんでいきます。それでどうしてもバッティングが劣る選手は打てる選手に代えていく。
優先順位としては守れる選手が先です。打てるだけの選手は次点になる。選手も、まずキャッチボールがちゃんとできなければダメだというのはわかっていると思いますよ」
新チーム作りのプロセス
岡本監督は、その代の選手の特色によってチームカラーを変えていくタイプの指導者だ。ピッチャーがいい代であれば守りのチームに。足の速い選手がそろっていれば細かな野球をするチームに。一方で、新チーム作りのプロセスははっきりしている。以下、順序立ててみよう。
走塁練習の準備
1.上級生で主力となる選手たちをピックアップする
2.彼らをポジショニングした後、空いたポジションに守備力の高い上級生を配置していく
3.打撃力に難のある選手は打撃力のある選手に代えて試す
4.攻守のバランス、チームにもたらす+αを考えながらレギュラーを決めていく
5.下級生は誰が見ても評価されるほどの実力があれば使う
聖望野球のポイントは「上級生を優先して使う」ということにある。
「うちは選手を集めているようで、実はこちらからスカウティングをしていない。みんな来たくて入部した選手たちばかりなんです。そういう選手たちには、3年間のうち、一度は背番号をつけて試合に出させてあげたい」
『勝負に対する執念が足らんといわれるかもしれんけど』、と言いながらも、その哲学に揺るぎはない。「けじめある自由」「サファリパーク野球」と、意味深い言葉で形容されることの多い聖望野球だが、その“らしさ”は上級生の扱い方にあるのではないか。
「1年夏にベンチ入りする選手はまずいない」という。現阪神タイガースの鳥谷 敬も例外でなかった。どんなに実力のある新入生が入ろうとも「秋の大会を目指してがんばれ」と声をかける。
「同等の力がある上級生と下級生がいたら、普通は下級生を選ぶやろ。でもそこで上級生を選ぶのが僕」という。
だが一方で、新チームは現在、内野陣はすべて1年生がレギュラーだったりする。「これも最初のチーム構想にはなかったんです。2年生でずっとやってきたのですが、どうもよくなかったもので。そこでBチームから1年生を引き上げたらチームにハマったと」。
では2年生を見放したのかというとそうではない。「2年生には1年生をバックアップしてもらっています。彼らには、『がんばって1年生と入れ替わらなあかんぞ』と言ってますし『今後、後半競った試合になった時1年生は緊張するから、キミらがいかなあかんぞ』と声をかけてます。
レギュラーが2年生で控えも2年生ならOK。ただ、レギュラーが1年生で控えも1年生というのはNG。下級生でレギュラーと控えが重複することは避けていますね」
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2011年07月28日
2014年03月08日
2014年03月10日
選手自身が「気づくか、気づかないか」
打撃練習の様子
どうしても勝たなければならない翌春の大会は、秋より上級生を多くメンバーに入れた布陣で勝負に出た。
すると春季県大会で準優勝(試合レポート)、2008年以来となる関東大会に進出し、1回戦では慶応(神奈川)に3対0で勝利(試合レポート)するまで躍進した。たしかに、監督の心意気と上級生のみが持ちうる気持ちの強さがマッチした時は勝負強くなることが結果に表れている。
しかし、上級生を重視することが、ともすると「弱さ、甘さにもなる」と岡本監督は言う。
「上級生だからメンバーに入れた選手には、一生懸命がんばれ、とは言っています。でもそこでこちらの気持ちと本人の気持ちがグッと合わないこともあります。『メンバーに入れてもらったんだから……』と、ピンときてくれない選手もいるということです。なかには、試合に出られずともベンチに入れれば満足してしまう選手もいますし」
本当は気づいてほしい。でも気づいてもらえない。そんなとき、ふと甲子園の試合を観ると、センバツで上位に入った高校が夏の大会で1年生をベンチに入れていたりする。勝負ごとには非情にならないといけないのか。そこは各校監督の考え方ひとつ。でも、自分にはできない……。この「選手自身が気づくか、気づかないか」という一線が高校野球の勝負所だと、岡本監督は考えているようだ。
[page_break:自分への甘えの排除]自分への甘えの排除
投球練習の様子
ただ、ここを乗り切れば徐々に強くなれるとも思っていたのですが」
チームの勝ちパターンは先行逃げ切り。だが、序盤4回までに4点のビハインドを背負い、浮足立った。
「もう何をやってもダメでした。焦ってしまった。相手にはイケイケで来られて、こちらとしては守りに入ったらいけないと。だけど春の関東大会のこともあり、優勝候補の浦和学院が敗れたということもあり……。気持ちが落ち着かず、にっちもさっちもいきませんでした」
ひとつ反省点がある。春まで絶対的エースだった野瀬 一樹投手が肘を痛め、夏には間に合わなかった(ちなみにメンバー入りはしている)。
そのことを見越していた監督は、ほかのピッチャー2~3人で継投する形を完成させようと考えた。春から夏にかけ、練習試合で各自に短いイニングを投げさせ、短期集中で全力投球できるようにしようとしたのだ。
「でも、それが失敗だったみたい。やはり練習試合では9イニング投げさせて、疲れた時や調子悪い時でもかわす、打ち取る投球術を勉強させるべきやったんです。球数が少ないうちは劣勢の場面でも勢いだけで抑えてしまう。それでは本番で打たれた時に、かわす術、しのぐ選択肢がないんですね。根性でどうにかなると思ったけど……まったくいかんかったです」
完投能力のある投手を2人育てて本番で継投に2分割するのと、最初から継投ありきで臨むのとでは、同じ投手でもまったく変わってしまう。
「後者は、子どもの成長にストップをかけてしまうことになりかねないのでは……」。岡本監督のこの夏の学びだ。
「理由はそれだけではなく、ピッチャーに甘えがあったのかもしれません。でも、そこをちゃんと直さなければあかんかった。完成したピッチャーには継投という役割を与えてもいいかもしれない。でも、育てていくピッチャーに対してはあかんと。打たれ出す前にスパッと代えたら甘えよるから」
新チームになってから、練習試合でピッチャーにはある程度の長さのイニングは絶対投げさせるようにしているという。
「自分への甘えの排除」。これは、ピッチャーに限らずチーム全体の課題だ。
甲子園へ行くのに必要な「気構え」
選手を指導する岡本幹成監督
冒頭で枝松キャプテンが言っていたのと同様、岡本監督も新チームには「狙える」手ごたえを感じている。
「この夏軸だった選手が残っているぶん、打てますから。だから秋は戦えるかな、と。でも、選手たちの質はわからない」
たしかに力はある。でもそれだけで甲子園に行けるかといったら――違う。
「本当は勝敗関係なく、楽しく、精いっぱいやったよねっていいたい。でも選手たちは甲子園に行きたい、とよく言う。
よく考えてみてください。甲子園に行くには1回も負けたらいけないんです。甲子園への過程で、劣勢に立たされる場面は必ずある。その場面を乗り越えるのに必要なのはなにか。
今、野球に対する理論がいろいろありますけど、結局最後は“根性”でしょう。
今年の夏の石川県予選決勝で、星稜が9回に8点差をひっくり返しましたけど、あんな極限の場面でそれができるのは、技術だけじゃない。根性があればこそですよ」
では、その根性のつけかたは。
「開き直って勝負できる選手を作っていかないといけないでしょうね。でも、本質的な根性のつけ方はというと……わからん」
それが正解なのかもしれない。監督は「根性」という言葉を、もっと広くとらえた「気構え」という言葉に変えても熱弁してくれた。
これは勝手な憶測でしかないが、お話を聞いていて思ったことがある。
甲子園へつながる「気構え」を作る第一歩は「自分への甘えの排除」から始まる。「自分への甘えの排除」は自身で律するしかない=自分で「気づく」しかない。
これはなかなか難しいことだが、高校野球において、その「気づき」のきっかけになる最も有効な要素は「3年生、最後の夏」という「上級生特有の意識」といえる。じつは岡本監督がやろうとしていることは、一本の軸になっているのではないか、と。
だから「上級生」を使う。だから「気づき」を促す。だから「気構え」を問う。
以前に比べると指導態度はだいぶ柔らかくなったと、監督自身はいう。
でも「選手はメチャクチャ怖いと思っているはず」と自らを評する。取材に訪れた時も、練習試合中、練習中と選手たちへ厳しい言葉を浴びせていた。
だが、どれも言葉こそ違えど「わかってくれ」と指導しているようには感じられないのだ。どちらかというと「気づいてくれ」と諭しているように感じとれる。そこに、どこか漂う岡本監督の人間味の正体を見た気がした。
(取材・文/伊藤 亮)