関西学院高等部(兵庫)【前編】
3学年合わせ141人もの部員を抱えながら、グラウンドはアメリカンフットボール部との共用。室内練習場はない。そんな環境の中、2009年夏には70年ぶりの甲子園出場。昨夏は県ベスト4進出を果たし、今春も県3位の座をつかんだ。毎年のように兵庫県の上位に食い込む秘訣をうかがうべく、兵庫県西宮市に位置する関西学院を訪ねた。
部員全員が実戦機会を得られる野球環境
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シート打撃の様子(関西学院高等部)
「こんにちは! こちらへどうぞ!」
平日の放課後取材。練習グラウンドのバックネット裏で出迎えてくれたのは就任26年目の広岡 正信監督だ。
「平日の練習時間は15時半過ぎから18時半まで。豊富とは到底言えないですよね…」
全国トップクラスの部員数を抱えながら、場所、時間に恵まれているとはいえない練習環境。結果が残せている要因がどうしても知りたくなる。
広岡監督はチームの月刊別スケジュール表を取り出し、筆者に見せながらこう言った。
「要因としては、全国でおそらく一番チームの練習試合の総数が多いという点が大いに関係しているんだと思います」
シーズンに入ると、週末は3ヵ所に分かれ各2試合ずつ、一日計6試合を行うスケジュールが関西学院のスタンダード。4ヵ所に分かれる日も珍しくない。
「部員はたしかに多いんですけれども、総試合数が多いので、高校生活を通じ、試合出場機会を部員全員に確保することができています。チーム全体の実戦機会の多さがチームの結果を後押ししている部分は間違いなくあると思います」
大学生OBで構成された「学生コーチ」が多いのも関西学院の大きな特徴。現在は17名の学生コーチが日々の練習や試合に携わっている。
「彼らの存在があるからこそ、これだけたくさん部員に目を行き届かせることができるし、これだけの試合を組むことが可能になる。彼らの存在抜きにして、うちのチームを語ることはできません」
関西学院流・練習試合メンバーの決め方とは
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広岡監督の話を聞く選手たち(関西学院高等部)
広岡 正信監督が見せてくれたスケジュール表には「Aは○○高校、Bは□□高校、Cは△△高校…」と表記されていた。しかし、これは一般に高校球界で言われるところの「A戦、B戦」といった意味合いではないという。
「便宜上、A、B、Cと表記してますが、一軍、二軍、三軍といった意味ではなく、数ヵ所にわかれてメンバーを割り振る際のグループの呼称に過ぎません。チームの決まりごととして存在するのはAグループに監督とキャプテンが必ず帯同するということだけ。一週間ごとにメンバーは1から割り振り直すので、各グループのメンバー構成は毎週異なることになります」
メンバーを振り分ける際のベースとなる基準は、「各グループの試合をどれも接戦になるように戦力を調整する」というもの。
時には試合を組んだその日の対戦相手のチームレベルがすべて強豪校の一軍クラスだったりすることもある。それはつまり全部員が高校球界のトップクラスの打線や投手陣のレベルを試合の中で体感できることを意味する。
「いいバッターやピッチャーと対戦することで自然とうちの打線や投手陣も鍛えられ、レベルが上がっていく。少ない練習時間にもかかわらず、うちが結果を出せている要因のひとつだと思います」
練習試合のメンバーを毎週シャッフルする効果は他にもある。チームを一軍、二軍といった発想で分けてしまうと、同学年であっても、行動を共にするメンバーが偏りがちだが、関西学院のやり方だと部員間の交流機会は当然増える。チームの風通しだって当然よくなる。
141名の部員を引っ張る、勇 威広主将は次のように証言する。
「部員数がこんなにも多いのに、チームにまとまりがあって、みんな仲がいい。いろんな場所に分かれ、たくさんの試合をいろんなメンバーと経験する中で、ひとりひとりが右肩上がりの成長曲線を描けている。腐ったり、モチベーションを失っている選手が1人もいないチームだと言い切れます」
「B戦」という呼び方は好きじゃない
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広岡 正信監督(関西学院高等部)
「メンバーを各グループに振り分ける際の基準は戦力調整だけではないんです」と広岡 正信監督。
関西学院では、選手の住んでいる地域や出身中学、保護者の出身地といった要素も多分に加味し、各グループのメンバーを決めていくのだという。
「うちの高校は、全員が自宅からの通いですし、片道2時間かけて学校まで通っている子も珍しくない。試合の時はなるべく各選手の家から近い試合会場に割り振ることを心がけています。その方が保護者の方も応援しやすくなりますから。遠征先が、ある選手の保護者の出身地だとしたら、その選手をその遠征グループメンバーに極力入れるようにします。そうすればおじいちゃん、おばあちゃんがお孫さんの雄姿を見れることにもつながる。
時には中学時代のチームメイトたちを同じグループに固めるようなこともします。そうすると保護者も中学時代に共に行動した人たちとともに我が子たちの成長した姿を同じ空間で目撃することが出来ますから」
広岡監督は選手たちの住所、保護者の出身地などがまとめて記載されたファイルを見せてくれた。正直、驚いた。まさかそこまでの配慮の中で練習試合メンバーを決定していたとは…。
「高校球界で通常、二軍戦を意味する『B戦』という呼び方が私は大嫌い。ましてやC戦なんて…」と広岡監督。
「自分の息子が試合に出るとなれば、多くの保護者が観戦しに来るわけですけども、控えレベルの選手ばかりで固めた試合を『B戦』などと謳ってしまうと、『試合には出てもどうせ二軍戦なんだよな…』といった気持ちがどこかに湧いてしまうじゃないですか。
でもうちのやり方だと、どのグループに振り分けられても、決して二軍戦ではなく、その日の関学のメインゲームに息子さんが出場していることになる。B戦といった発想を無くすだけで、選手だけでなく、保護者の中に湧き上がる思いも変わってくると思うんです」
関西学院にチームバスは存在しない。多くの保護者の協力があってこそ、全国でトップクラスの試合数の実施が可能となる。
「夜中の3時から車を出してくださる保護者の方もいる。うちの保護者のみなさんはまさしくチームの『サポーター』。感謝してもしきれません」
全国で当たり前になっているAチーム、Bチーム。関西学院はまさに独自の定義であった。生徒を預かっている広岡先生の素晴らしい配慮である。後編では関西学院のセオリーを紹介していただく。
(取材/文=服部 健太郎)