トミージョン手術から復活した慶應大・関根智輝(都立城東出身)。2年後は必ずプロへ【後編】
一緒に故障と戦っていた仲間がいたからこそ復活することができた
慶應大・関根智輝(都立城東出身)
トミージョン手術は手術して終わりではなく、そこからリハビリが大事だといわれる。関根は林助監督や大久保前監督から「完全復活は手術3割、リハビリ7割だぞといわれて。リハビリこそが大事ということで、4年春に復帰することを目標に取り組みました」
トミージョン手術は執刀する病院によってリハビリテーションの段階は様々で、大学2年生の8月に手術した関根の場合は1ヶ月間、ギプスで固定。1ヶ月後には肘を曲げ伸ばしするリハビリテーションに入る。マッサージをしたりと徐々に可動域を広げていく。ようやくキャッチボールができるようになったのは半年後ぐらいだ。その間、投げられない苦しみがあった。
「リハビリが大事といいながらも、周りは元気よく投げている中で自分は投げられない。早い投げたい気持ちはありましたね」
その気持ちを抑えることができたのは大久保監督ら指導者陣の「焦るな」と言う言葉だった。また同級生には木澤尚文(東京ヤクルト)、佐藤宏樹(福岡ソフトバンク)と肘の怪我をしており、投げられない時期にはどうすればいいかアドバイスをもらっていた。「彼らからのアドバイスは本当に大きかったと思います」と感謝する。
そして慶應大は投手陣が豊富。急がせることもなかった。
「だからゆっくりと調整ができたと思います」と語るように大学3年の8月にはブルペンで立ち投げができる程度まで状態を取り戻していく。そして昨年の12月には打者相手に投球。チーム内の計測で146キロを叩き出し、故障前に近いボールを投げられるまでになる。
「リーグ戦の神宮球場で146キロが出ましたので、それに近いストレートを投げられる事ができてよかったです」
とじっくりと時間を重ねて調整したことで、関根は復活を果たした。
自分の武器はゲームメイク能力。2年後は必ずプロへ
慶應大・関根智輝(都立城東出身)
関根は堀井新監督に希望進路として「プロ」を掲げた。
「慶応にきたのも、プロに進みたいからで、それはブレずに生きたいと思っていました」
ただし、条件は春のリーグ戦の結果次第。堀監督は関根に対する期待は高かった。
「非常に安定感があります。ゲームメイク能力が高く、ストレートの投げ分けができて、変化球の制球力も高い。安心して見てられます」
堀監督の評価にあるように関根自身も「ゲームメイク能力」で勝負する投手だと思っている。
「スピードで勝負する投手ではないことは大学に入学した時点でそれはないと思っていました。打者の反応を見ながら、駆け引きで勝負する投手だと思っています」
2月・3月のオープン戦では好投。ストレートは140キロ前半ぐらいだが、大学でマスターしたツーシームも冴え渡った。そのツーシーム、どう投げているのかを語ってもらった。
「縫い目に沿って人差し指と中指をはさみ、落とす時は中指を深くします。普通のツーシームを投げる時は中指を通すようにリリースして、落とす時は被せて離すイメージで投げていきます」
こうして速球に加えて、得意のツーシームを活かしながらシーズンへ向けて準備した関根。だが勝負と決めていた4年春はリーグ戦2試合に登板し、防御率6.75。関根はプロ志望を諦め、社会人に進むことを決めた。大学最後のシーズンとなった4年秋は2.1回を投げ無失点、更に5奪三振を奪い、良い形で締めくくった。
今度は社会人野球を舞台に移す関根。今年、伊藤優輔(都立小山台出身)が最短2年で巨人入りを決めたように、社会人で研鑽を重ね、指名候補に挙がる投手を目指す。
(記事=河嶋宗一)