奥川恭伸の復活勝利は“伝説の始まり”だ! 「すべてのボールが決め球」だった高校時代から持っていた超一流投手の思考【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.24』】
星稜時代の奥川恭伸
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!
今回はヤクルト・奥川 恭伸投手を取り上げていきたいと思います。
ようやくこの日が訪れました! 14日のオリックス戦に登板した奥川投手。808日ぶりの一軍マウンドで5回1失点の好投を見せ、980日ぶりの勝利をあげました。ダッグアウトでウイニングボールを受け取り号泣する映像を見て、私も心が揺さぶられました。
星稜高校3年間の奥川投手は、プロでも超一流の活躍を確信させる投手でした。ピッチングだけではなく、本人が語る投球の意図もまた、同世代の投手と比べると一歩も二歩も先を行っていました。
中学生の時から支配的な投球を実践
奥川 恭伸投手の名前を初めて目にしたのは、1年秋の大会が終了した後でした。2018年のセンバツ出場候補を調べていくと、1年生ながら強豪・星稜のエース格の活躍を見せていたのが奥川投手でした。
さっそくインタビューを行うと、その投球に対する考え方に驚かされました。奥川投手は宇ノ気中時代に全国大会で優勝を経験していますが、当時の心境を聞くと、こう答えたのです。
「ピッチングで心掛けていたのは、試合の流れとか大丈夫な回と危ない雰囲気の回の配分です。ピンチの時にしっかり投げられるように配分を考えてやっていました。速い球とかすごい変化球とかじゃなくて、試合全体を考えて勝てるピッチャーを目指していたんです」
大学生や社会人の投手が実践していそうなことを、奥川投手は中学生の時点で考えていたのです。
星稜に入学すると、1年秋から主力級の活躍を見せますが、自身は物足りなさを感じていたようです。
「宇ノ気中学の時みたいに『勝てるピッチャー』になりたいです。そのためにはストレートも変化球も今よりももっと良くならないと到達できない。何回りも大きいピッチャーになりたい。自分は“甲子園優勝”を目標にしているので、そういうピッチャーになりたいです」
2年春、甲子園に初登場した奥川投手は躍動感がありました。左足を勢いよく踏み込んでオーバースローで投げ込むストレートは常時140キロ前半でしたが、切れがあり、スライダーの精度も抜群でした。センバツでベスト8入りし、いきなり結果を残します。
夏にはさらにストレートがレベルアップし、150キロを超えるまでに成長していました。こうした活躍が認められ、2年生ながら高校日本代表入りしました。
代表が終わり、チームに戻ると、北信越大会で優勝。神宮大会を迎えるまで45.1回を投げて、56奪三振、3四死球、6失点と圧巻の投球を見せてくれました。神宮大会の目玉投手となった奥川投手は初戦の広陵戦でも快投を見せます。
名将、ドラフトの目玉も絶賛した神宮大会の快投
立ち上がりから三振ラッシュ。最速149キロの速球、130キロ近いスライダーに加え、この試合から投げ始めたフォークで次々と三振を奪い、7回11奪三振の快投。広陵は中国大会で創志学園・西 純矢投手(阪神)を攻略しているチームであり、そのチームが奥川投手に太刀打ちできなかったのは衝撃的でした。初回はすべて三振に打ち取っていますが、いきなり打たれると勢いづかれてしまうため、三者三振を狙ったといいます。
奥川投手の快投について、広陵の中井 哲之監督はこう話しています。
「西君を打つために練習をしてきたので、スピードは対応できました。西君の方が速かったくらいです。ただコントロールや緩急、精度は奥川君の方が上でした。
特にフォークボールがすごかったですね。今日は真っすぐでは三振していませんが、フォークで三振していました。130キロくらいのフォークが切れる。そこが見切れればもう少し違ったかと思いますが、これまであんな投手はいなかったし、練習をしたことはない。キレ・高さ、変化球でストライクとれるし勝負ができる。スライダーもあってストライク先行で失投を仕留める以外なかった」
そしてこの試合、当時1年生ながら広陵のスタメンだった宗山 塁内野手(明治大)も驚きのコメントを残していました。
「ストレートに狙いを絞ってヒットを打つことができましたが、投げる球種がすべて決め球に見えました。ストレートの切れ、制球力、変化球の切れは今まで対戦した投手の中では一番でした」