花巻東を先頭に盛岡大附、一関学院、専大北上らの私立勢が旧制中学系を凌駕(岩手県)
東北地区で近年最も著しく勢力構図が変化したのは岩手県だろう。かつては、盛岡一と一関一、花巻北、盛岡など旧制中学の流れを汲む伝統校が、弊衣破帽のバンカラスタイルの応援団とともに、県の高校野球を引っ張ってきていた。
90年代後半、岩手の勢力図が変わる
2009年輝いた花巻東・菊池 雄星投手
それに対抗する勢力としても,盛岡商、黒沢尻工、盛岡三と盛岡工あたりだった。平成になって盛岡四も実績を上げている。いずれも公立勢である。そもそも、私立校が少なかったということもあったが、野球応援を一つの学校のシンボルとして、友情や愛校心が育まれていった背景があった。その上に立って野球部も期待に応えようと努力してきたという事実が、これら公立勢の時代を作り上げていったのである。
それに食い下がっていたのが現一関学院の一関商工だった。そこへ、90年代半ばころから盛岡大附と専大北上に盛岡中央も台頭してきた。こうして、いつしか私学勢がリードしていく形となった。
それが、さらに色濃くなったどころか、全国でも上位へ食い込める存在として現れたのが花巻東だった。そして、今や県内では花巻東が各校最大のターゲットとなり、それに対抗するのが盛岡大付という構図が定着している。
花巻東は母体は花巻商業専門学院で、花巻商時代や谷村学院との併合などを経て、82年に花巻東となった。花巻商時代の64年夏に一度出場していたが、90年に二度目の出場。そして、01年に佐々木 洋監督が就任し05年夏、07年夏と立て続けに出場。しかし、初戦敗退が続いていたが、09年に菊池雄星投手(西武<インタビュー>)を擁して春は準優勝、夏もベスト4に進出。これで一躍全国区となったが、これを見て入学してきたのが大谷翔平(日本ハム<関連記事>)だった。
新たな歴史を築いた釜石などの県立校
盛岡大附・スタンド
09年以降は7年間で春2回、夏は4回の出場を果たしている。その間隙をぬって、盛岡大附は08年以降で春2回、夏3回の出場となっている。他には、08年春と10年夏の一関学院となっている。こうして、いつしか岩手県も、突出した私立校の対決構図という形になってきた。
この構図は、今後も継続されていくことになるだろう。花巻東は比較的県内勢が多く、県内1の実績に憧れて、県内の有望選手たちの一番希望となっている。これに対して盛岡大附は、関東などの県外生も多く受け入れている。
岩手県は北海道に次ぐ面積を有する県である。
それだけに県内でも、場所によっては気候などにもかなりの違いがあるのも否めない。ことに、北上川に沿った盛岡市などの中心部分と、かつてはラグビーの7連覇などで一世を風靡した新日鐵釜石のある陸中海岸方面とでは、結ぶのは釜石線だけということもあり、交流は比較的少ない。その中間に位置しているのが『遠野物語』の舞台でもある遠野ということになる。
海岸方面は先の東日本震災でも大きな被害を受けた地区でもあるが、高校野球ということでいえば、それ以前から注目を浴びる学校は少なかった。そんな中で、84年春に大船渡がベスト4に残り、釜石南が96年春に甲子園で頑張り存在をアピールしている。さらに北上すると久慈勢で79年には久慈、93年には久慈商が甲子園に進出しているが、釜石南以降は甲子園には縁がなかった。
しかし、2016年春には、釜石が21世紀枠代表でセンバツ出場を果たした。新たな歴史を築いた。
(文:手束 仁)