生光学園高等学校(徳島)
第12回 生光学園高等学校 2010年12月31日
【生光学園高等学校】
甲子園への道を阻む「勝負弱さ」
かつ多くの選手が学校隣接地にある寮で生活を送るなど、野球に取り組むにはこの上ない環境を持つ。夏は、武田が2年生エースだった1995年の徳島大会準優勝の成績を筆頭に、ベスト4に6度進出、ベスト8も8度進出。秋も1995年、2005年にベスト8と、5度の四国大会出場を果たしながら、いずれもあと一歩のところで膝を折ってきた。では、その要因は何なのか?
「今までは誰かがしてくれる『だろう』だったんです」。現役時代は富岡西-國學院大と進み、平成8年に生光学園部長に就任。その後、2年間の県高野連理事長や1年間のコーチを経て、今年で監督就任6年目を迎える山北栄治監督はこのような分析を加える。
確かに過去に筆者が目にした彼らにおいて目に付いたのは、徳島商、鳴門工など全国でも名だたる強豪公立ばかりでなく、「生光にだけは」とアドレナリンを充填して立ち向かってくる公立高たちの「包囲網」に対し、想定外のビハインドを背負った際における粘りの無さ。このように選手個々に勝利への気持ちはあれど、それが肝心な時に結束できない意味においては、過去の生光学園は残念ながら「勝負弱い」と判断されても反論できないものであった。
勝負弱さを克服するための「1ストライク紅白戦」
もちろん彼らもそれをよしとしているわけではない。指揮官は新チームからその傾向を克服すべく、ランダンプレーの要素を取り入れた3人1組でのキャッチボールやワンバウンドでのボール回しなど、これまでも実戦を想定した練習メニューに加え、「1ストライク紅白戦」なる試みに取り組んでいる。
その内容は、部員61名を実力均等に4チームに配分する。それは、「同レベルで少人数だと自分がやらんといかん」(山北監督)という自主性と、1ストライクとプレッシャーがかかったバッターボックスなら、それを克服できるという意図が含まれている。
しかもこの紅白戦では、首脳陣は全くゲームに関わることなく、監督役の選手が状況に応じてサインを出し、選手同士が常に声を掛け合うことで、ゲームメイクするルールになっている。
よって試合に勝つも負けるも全ては「自己責任」の世界。取材日においても右エース・剛球派の木下雄介(2年、大阪・加美ウイングス出身)、左エース・制球力に優れる沖垣泰史(2年、奈良・五条ドラゴンズ出身)の好投が光った紅白戦は、自ずと緊張感、スピード感のあるクロスゲームになっていた。
全国優勝「ゴールデンエイジ」を携え、悲願の甲子園へ
特に徳永、出本の俊足コンビが組む右中間は、既に県内でも鉄壁を誇ると言っても過言ではない。この8人を含む1年生たちが仕掛ける競争は、扇の要を占める米田祐二主将をはじめとする2年生たちにも大きな刺激となっているのだ。
かくして、昨秋県大会では2回戦で優勝した徳島城南に5対9で惜敗した悔しさを晴らすべく、再び前を向いて走り出した生光学園。
「現チームは昨夏ベスト4の鳥越脩平(3年)主将が残してくれたものを引き継いでくれているし、今年は本当に頑張ったら甲子園が狙えるチーム。技術だけでないプラスアルファをどう付けられるかです」と最後には確かな手ごたえと夏への決意を述べた山北監督。それは同時に選手、父兄、OB、中学生たち、そして生光学園にかかわる全ての人々にとっての願いでもある。
(文=寺下 友徳)