鳴門vs鳴門工
3回裏2点タイムリー三塁打を放ちガッツポーズの6番・松本(鳴門)
ライバルの配球読みきった鳴門、2年ぶり秋季四国大会進出!
徳島県立鳴門高等学校と鳴門市立鳴門工業高等学校。共に甲子園でも実績を有する四国きっての名門というばかりでなく、豊富な練習量をベースにパワーと精神力で対戦相手をねじ伏せる「剛」スタイルを貫く鳴門工業。対して「練習日誌」を採用するなど自らの発想を引き出しつつ、相手を巧みにいなす戦い方を好む「柔」の鳴門といった風に、普段からお互いが持ち味を発揮して切磋琢磨し、高め合ういいライバル関係を築いている。
毎年5月、これも甲子園出場経験を持つ徳島県立鳴門第一高等学校と県外招待校を加え1980年から開催されている「鳴門市内高等学校親善野球大会」がその好例。来年4月より鳴門工業と鳴門第一は統合、「徳島県立鳴門渦潮高等学校」となるため、勢力図に多少の変化は生じるものの、この2校が今までも、これからも「好敵手」であることは変わらない。
そんな両者が四国大会出場を賭けた徳島県秋季大会準決勝で激突することに。
戦前は鳴門工業の本格派エース・美間優槻(2年)に対し、準々決勝で生光学園の好右腕・真砂敦(2年)を攻略した鳴門打線がいかなる策を練るかに注目が集まった。
そして試合は鳴門のペースで終始進んでいく。1・2回で「低めにコントロールすればいいのにそこに放れない」(鳴門工業・髙橋広監督)美間の不調を悟った選手たちは3回裏、「甘いボールを打て!」と森脇稔監督から授かったGO指令を盾に、勇躍ミッションを実行に移していく。
2死から今大会好調の3番・稲岡賢太(1年)が三遊間を抜くと、杉本京太(2年)が続き1・3塁。大和平(2年)が中前に運び先制点。さらに外角高めの直球を叩いた6番・松本高徳(1年)の打球は「調子がよいので今大会初めて先発起用した」指揮官の思惑通りライト線への3塁打となってさらに2点。四球をはさんで、ここまで鳴門工業打線を無安打に封じていた後藤田崇作(2年)も三遊間を抜いて1点。打者10人を送り込んで4点を奪った彼らの猛攻は反面、鳴門工業にとって実に重いビハインドとなってのしかかった。
5打数4安打と大当たりの3番・稲岡(鳴門)
それでも、直後の4回表には6番・福本裕輔(2年)の左中間2塁打で2点。6回にも再び福本が適時打を放つなど、反撃の姿勢は失わなかった鳴門工業。が、その裏には美間からマウンドを引き継ぎ、粘り強くピンチを凌いできた島津勇治(2年)が1死満塁から「真っ直ぐだけ狙っていた」後藤田に痛恨の3塁打を喫し、試合は決した。
7対5。過去に数々の激戦を繰り広げてきたライバル物語は「昨年夏に甲子園に行った時に似ていて、僕がグダグダ言わなくてもやってくれる」(森脇監督)鳴門に「2年ぶり18度目の秋季四国大会出場」という凱歌が上がる形で、新たな1ページが綴られたのであった。
しかしそれでもただでは起きないのが鳴門工業である。「今日の失敗は今日のうちに消化しないと」と、学校に帰った後の練習、さらに美間、島津の両名にこの試合での防御率×10本の50mダッシュを課すことを明言した髙橋広監督は、秋季四国大会最後の椅子を争う代表決定戦・徳島北戦における美間の起用法についてはっきり言い放った。
「明日放らんかったら話になりません。やってもらわないと」。
翌10月2日。鳴門工業は美間が完投。徳島北を3対1で下し3年ぶり16度目の秋季四国大会出場を決めた。
かくして決勝で川島に対し3対1と逆転勝ちで18年ぶり11度目の優勝を飾った鳴門と共に1979年(昭和54年)、昭和1989年(平成元年)以来、22年ぶり3度目となるダブル秋季四国大会出場を果たした両校。今度はセンバツ出場の行方を決する準決勝での再戦を目指し、彼らはそれぞれのスタイルでさらなるレベルアップを図っていく。
(文=寺下友徳)