花巻東vs一関学院
歴史的瞬間!そしてもうひとつの目標へ向かって
「160キロを出したいです」
入学以来、大谷翔平(3年)はそう言い続けてきた。
花巻東が選抜大会で準優勝、夏にベスト4入りを果たした2009年は中学3年生。菊池雄星(埼玉西武)にあこがれて花巻東に入学したが、佐々木洋監督からはこう言われた。
「『雄星さんみたいになりたい』と言うのはやめてくれ。『雄星以上になりたい』と思わなければ、雄星を越えることはできない」
それ以来、大谷は目標を高く、高く掲げてきた。
菊池がドラフトで6球団から1位指名されたのを受け、「8球団から1位指名される選手になる」。160キロとあえて口にしたのも、菊池の出した155キロを上回るためだ。155キロを目指していては、160キロを出すことはできない。155キロを通過点にしていれば、たとえ160キロに届かなくても157、158キロを出すことはできる。ビッグマウスではなく、目標を高くすることで、最低でも菊池と同じ記録に到達できるようにという考えなのだ。
今年の選抜大会前のインタビューで、大谷が日南学園・寺原隼人(オリックス)が記録した154キロ(※甲子園スピードガン)ではなく、「160キロが目標です」と口にしているのを聞いて、佐々木監督は「あいつもわかってきた」とうなずいていた。
そして、ついにその日が訪れた。
岩手県営球場に詰めかけたファンが歴史的瞬間の目撃者だ。
8対1と大量リードして迎えた6回表。二死二、三塁、打者は5番・鈴木匡哉(3年)という場面だった。
フルカウントからの6球目。内角低めのストレートがうなりをあげる。捕手・佐々木隆貴(3年)のミットを叩く音からワンテンポ遅れて、球審がストライクをコールした。
スコアボードに表示された「160」の数字にどよめくスタンド。ネット裏のスタンドからは拍手が起こった。
「ざわめいていましたけど、何が起きたのかわからなかった。ランナーを背負っていたので気持ちは力が入ったのですけど、体はリラックスして投げられた。低めにしっかりいったのでよかったです」と振り返った大谷。
高校生で史上初めて打席で160キロを体感した鈴木匡はこう言う。
「低めでボールかと思ったのが、伸びてきた。投げたと思ったらもうミットに入ってる感じですね。手が出ませんでした」
昨夏に成長軟骨が折れる左足の骨端線損傷を負った大谷。その影響で夏の甲子園はステップ幅を狭めての投球だった。
秋の公式戦は登板なし。休養が最大の治療といわれるケガのため、ひたすら耐える日々だった。年明けから投球を再開したものの、春の選抜大会では調整不足で不本意な投球。体調万全で公式戦を迎えるのは、3年の夏にして初めてだ。
「春は下半身が使えてなかったのでフォームを固めました。投げ込みもしてきたし、体調もここに合わせてきた」と大谷は今の状況を語る。
その言葉通り、春と夏のフォームは大きく変わった。
まず、フォーム自体がゆったりとしたものになった。ワインドアップでの投球時で見ると、始動からミット到達まで、センバツでは3・8秒前後だったが、現在は4・3~5秒。0・5~1秒も長くなった。左足が完治し、ようやく走りこみができるようになったことで下半身が安定。右足一本で立った姿勢は、春までは猫背気味だったが、現在は背筋がまっすぐ伸びるようになった。
グラブと体の距離が近くなり、グラブから右手を出すタイミングも遅くなった。春は突っ込みがちだったが、右足にしっかり体重を乗せて、体重移動もスムーズに行えるようになった。
そして、何より変わったのがフィニッシュだ。右腕を振り切ると同時に、着地していた左足がセンター方向へ戻る。これは、左足がしっかりと地面をつかんでいる証拠。ダルビッシュ有(レンジャーズ)や藤川球児(阪神)など、本物の速球派投手にしか起きない現象だ。これは同時に、左足に不安がないことも表している。
また、走者を背負ってからも落ち着きが出てきた。
セットポジションでもセットに入って1秒以内に投げたり、3秒持ったり、あえてプレートをはずしたりと間を変える工夫をしていた。得点圏に背負うと、ギアをチェンジ。160キロをマークしたのが二、三塁の場面だったことからも、それはうかがえる。
大谷は言った。
「春はランナーを背負ってから打たれてしまった。今はランナーが出てからの方がストレートの走りがよくなる。工夫して成長できたと思います」
春は打者としての評価の方が高かったスカウト陣の評価も急上昇。早くも「何もいじる必要がない。体幹を鍛えてから……とかじゃなくて、すぐにローテーションに入れて、中1週間で回せば、投げながらいろいろなことを覚えればいい。1年目から確実に活躍できる。雄星の二の舞にだけはするな」という声が上がるほどだ。
だが、その前に大谷にはもうひとつ、やり残していることがある。昨夏、今春ともに甲子園では初戦敗退。初勝利を挙げるため、菊池の逃した優勝を目指すために、まずは甲子園に戻ることだ。
「160キロを無理じゃないかとは思わず、がんばってきたことで達成できた。次は監督さんともうひとつ約束した日本一という目標を達成したいです」
実は、冒頭の「160キロを出したい」という言葉には続きがある。
それは――。
あえて、まだ公表はしないことにする。
なぜ、大谷が160キロを目指したのか。その理由がその言葉の中にあるからだ。今の段階では、まだ言うべきではない。
もうひとつの目標に近づいたとき、必ず、続きの言葉を公表するときが来る。
(文=田尻賢誉)