福知山成美vs西城陽
大打者が通るべき道
「点差が開いていたので、流れを変える一発を打ってやろうと思っていました。甘かったんですけど、捕えることが出来なかった」
高校生活最後の第4打席はサードゴロ。西城陽・真砂勇介は、最後、ホームランを狙っていったが、現実のものとすることはできなかった。
真砂勇介にとって、厳しい夏だった。
4試合で12打数3安打0打点。
この日も1安打は打ったものの、彼のバットから快音を聞くことはなかった。
攻撃面だけではない。7回の守備では2度の落球(一度はエラーつかず)。好守でズバ抜けた才能を持っている真砂らしくはなかった。
「(今大会は)普段の真砂ではなかったですね。1年間、あんなエラーをしたのを見たことなかったですし、スイングも遠回りしていて、いつもなら120メートルを飛ばしていてもおかしくないのに、力で打っていた。真砂一人に背負わせてしまったのかなと思います。彼も高校生ですからね」と南条浩一監督は主砲の不振をかばった。
とはいえ、今大会が悪かったからといって、真砂の3年間が否定されるものではない。
むしろ、紆余曲折のあった彼の3年間は実に濃いものだった。
南条監督は感慨深げに語る。
「これだけ変われるやつがおるんやなと思いますね。ほおっておけばどうなっていたか。自分の好きなことしかやれへんかった選手が、今となっては率先して何でもやるようになりました。中学校の先生も驚いているでしょうね、今はどこへ出しても恥ずかしくない選手になりました」
1年冬、真砂は退部騒動を引き起こしている。
野球部での活動より、友人との遊びの方が楽しかったからだ。
真砂は言う。
「公立で甲子園にとかいう目標がありますけど、そんなことは思っていなかったし、常に、『だるい』って言ってました。レギュラーを取れたらいいやくらいに思っていましたし、1年の頃は中途半端な気持ちでやってましたね」
しかし、そんな真砂をチームの誰も見離さなかった。
昏々と説得をすると、本人自身、改心するようになったのだ。
「僕がわがままをしているときにも、蔭で応援してくれている人がいました。その人たちに感謝をしたいと思った。それからは中途半端にではなく、真剣に一番を目指そうと思った」
それまでは強制参加の時にしか顔を出さなかった朝練にも自主的に参加し、チームをけん引した。旧チームで、3番を務め、上級生からも信頼される選手に成長した。
「彼らの先輩らも、真砂に引っ張ってもらったと言っていました。それほど、彼は影響力をもっていた」と南条監督は言った。
ホームランを量産し、好守でチームを引っ張る。昨秋府大会では、龍谷大平安との試合でで2本塁打を放ち、一躍注目される選手となったのだ。
今大会の結果は真砂本人とっては受け入れがたいものになるだろう。本人も「仲間の顔を見ると……やっぱり涙が出てきました」と悔しさを露わにしていた。
しかし、これも大打者への通るべき道だ。
オリックスの主軸を張るT-岡田(履正社)も、北海道日本ハムの中田翔(大阪桐蔭)も最後の夏は不完全燃焼のままに終えているのだ。
注目されているからこそ、乗り越えられなければいけない壁がある。
高校3年夏は壁に屈してしまったが、人生はこれが終わりではない。
「去年、(同じ準々決勝で)福知山成美に負けてから、この1年は大きかった。悔しさはバネになる。野球選手としてこのままじゃ終われない。勝負強い打者を目指して、これからもがんばっていきたい」
高校3年夏の屈辱をバネに。
やんちゃくれから蘇った男が、上の舞台でのリベンジを誓った。
(文=氏原英明)