錦城学園高等学校(東東京)
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▲2011年夏、本郷戦でサヨナラ勝利を果たした錦城学園
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都心のど真ん中。東京都千代田区に、錦城学園はある。その歴史は古く、創立130余年。現在の東京都高校野球大会にあたる第1回大会に出場したのは当時、早稲田、慶應など8校のみだったが、そのうちの1つが錦城学園だった。
しかし、錦城学園は、まだ甲子園への出場はない。その夢を10年前から本気で掴むために、東京家政学院高校から赴任してきたのが、現在の玉木信雄監督だ。
玉木監督が就任後、錦城学園野球部は着実に力を付けてきている。それまでの錦城学園の夏の成績は、東東京大会で1~2勝。初戦敗退の年も、珍しくはなかった。
それが、6年前に5回戦へ進出し、ベスト16入りを決めた時期を境に、安定した戦績を残し始めるようになった。昨夏と今年の夏においては、2年連続で東東京大会5回戦進出を果たしている。
とくに昨年夏の3回戦、本郷との延長11回の壮絶な打撃戦の末、12対11のサヨナラ勝ちのゲームや、今夏の5回戦の岩倉戦でも、9回裏の同点劇など、「粘りのある強打のチーム」をハッキリと印象付けてきた。
守りのチームから攻めのチームへ
▲錦城学園高等学校 バッティング練習
新チームが始まると、練習は打撃練習がメインとなっていく。素振りでは、最後までバットのヘッドを上に大きく振り切ることを徹底した。
「バットは、(ヘッドの重さで)自然と振られる作りになっています。それにかまけて、最後まで自分の力で振らないのではなく、自分の力でどこまでフォロースルーを大きく取れるかが大事。ボールを前にどれだけ押し出せるかが勝負です」
フォロースルーを大きく。フルスイングしろ。
普段の練習時間は、河川敷のグラウンドには照明がないため、わずか1時間半程度。だからこそ、明確なキーワードで伝え、それを徹底させたことで、『芯を喰ったら外野の頭を越える打球』を打つ打線へと成長していったのだ。
中学時代は、主力メンバーではなく二番手、三番手だったという部員たちが、今でも多い錦城学園だが、それでも最後の夏は玉木監督の教えによって、120%の力を発揮して、結果を残している。
しかし、玉木監督が就任1年目から、ここまで浸透力が高いチームだったわけではない。
監督と部員の心を共有する
▲錦城学園高等学校 玉木信雄監督
当時の部員たちは、今でも夏の大会になると、後輩たちの応援に駆けつけてくれるというが、その時は玉木監督にこんなことを言うそうだ。
「今の部員たちがうらやましいです。今の錦城学園で僕たちも野球が出来たら、もっと良かったな」――
試合では、どんなに追い込まれた展開であっても、下を向かない。最後まで諦めない。相手に臆することなく、グラウンドで自分たちの思いを表現している。そんな後輩たちの姿をみて、そう思うというのだ。
そして、その姿勢こそが、土壇場での同点劇やサヨナラ勝ちといったミラクルを呼び込んできたのは事実だ。
それは、玉木監督が10年間、繰り返し唱えてきた言葉にヒントが隠されている。
「高校野球は、技術を超越したところにあるんだよ」
勝つも負けるも、9回裏2アウトで1本が出るのも出ないのも、すべては心だと。
「もし目の前に重たいものがあって、それを運びたいけれど、重たくて運べない。そんな時、どうやって運ぶ?」玉木監督は部員に問う。
監督の考えはこうだ。
「他の人の力を借りて運べばいい。一番大事なのは、心を持ってつながること。心から、人にお願いすることも大事だと俺は思うよ」
自分の思いや気持ちを言葉で相手に伝えること。自分を表現すること。それは、相手が仲の良い友だちであっても、家族であっても、勇気がいるものだ。ただ、玉木監督は、勇気を持って、監督に就任してからの毎日、彼らに自分の気持ちを伝え続けていた。
なぜ、叱るのか。自分はどうしたいのか。嬉しいことも、悲しいことも、部員たちに心を共有することで、不思議とチームの雰囲気は変わっていった。
気づけば、誰が指導したわけでもないのだが、自然とノックの雰囲気に新たな錦城学園野球部の伝統が生まれ始めていた。
現在の部員たちが、こんなことを教えてくれた。
「錦城学園のノックは熱いですよ。僕らが盛り上げて、本気の雰囲気を作ることで、『監督さんをもっと熱くしてやろうぜ』という気持ちがあるんです。1人がエラーしたら、みんなで厳しく言い合いながらも、全員でノッカーの監督さんたちに挑戦していく。『こいよー!』『まだまだ!』と言いながら、さらに熱い雰囲気を作っていくんです」
錦城学園の練習は、いつの間にか、選手たちが自分自身を表現し、お互いに思いを伝える場となっていた。そして、それは練習だけでなく、試合でも、彼らの野球は変わることはなかった。錦城学園特有の粘り強さは、そこから生まれてきた。
[page_break:就任10年目の甲子園への思い]就任10年目の甲子園への思い
▲埼玉県和光市の河川敷のグラウンド
「監督さんから甲子園に行きたいっていう気持ちをすごく感じるんです。だから僕たちも甲子園に行きたい」(佐々木雄大、大野文也、田保和樹・1年生)
これまで自分の思いを素直に部員たちに伝え続けてきた玉木監督であったが、実は「甲子園」の言葉だけは、これまで一度も部員たちの前で出したことはなかった。
初めて伝えたのは、就任10年目の今年だ。
「一緒に甲子園に行こう」――
今なら、その思いが彼らに届くと思った。
部員たちは、真剣な眼差しで玉木監督を見つめていた。本当は、彼らは監督のその言葉をずっと、ずっと待っていた。
この錦城学園で、玉木監督と、甲子園に行きたかった。
玉木監督は、ここで甲子園を目指す理由をこう語る。
「野球部員たちが大人になった時、錦城学園を卒業して、結婚して子どもが出来て、その子どもたちに自分の学校のこと、何も自慢できなかったら寂しいじゃないですか。
でも、僕ら野球部が活躍して新聞に載っていたら、『この高校、お父さんの母校なんだぞ』って誇りに感じることができる。だから、毎年部員たちには、お前たちの活躍が錦城学園のOBにも夢を与えられるんだと話しています。
僕は錦城学園のOBではないけれど、縁があって、この高校に来ることが出来ました。だから、卒業生みんなが、錦城学園に来て良かったなと思えるような、強い野球部にしたいですし、甲子園にも行きたいんです」
静かに語る言葉の端々から、玉木監督の熱い思いが届く。きっと、部員たちも毎日、この指揮官の熱い思いを心で感じ取っているのだろう。
そして、それを夏の大会、最後の最後の瞬間まで錦城学園ナインは、グラウンドで表現しているのだ。
(文=安田未由)