まさに別格だった。現役引退を表明した今村猛の恩師が振り返る投手としての傑出度
1人のセンバツ優勝投手が現役を引退した。その名は今村猛。
清峰(長崎)時代、2009年センバツに出場した今村は圧倒的な投球で優勝した。この優勝が公立校最後の甲子園優勝となっている。その後、今村は広島の中継ぎ投手として、通算431試合登板、115ホールドを記録している。今回は高校時代の恩師・吉田洸二監督に話を伺った。
投球術、素質ともに突き抜けていた
高校時代の今村猛(清峰)
吉田監督は高校野球で投げる投手には2つのタイプがあると評する。
「ゲームを作れる投手が非常に重要で、凄いボールを投げる投手がプロにいく。甲子園で勝てる投手がドラフト上位にいくわけではないですよね」
一発勝負の高校野球では必然的にトーナメントに強い実戦力が高い結果を残す。逆に将来的にプロを狙える才能は持っているものの、実戦力が低く、トーナメントでは結果を残しにくく、ベンチになることが多い投手もいる。吉田監督はそういう投手は大学で結果を残しやすいと語る。清峰、山梨学院のエースとなった投手は当然だが、トーナメントに勝てる実戦力が高い投手ばかりだった。今村については「両方を兼ね備えていて、どちらの能力も別格でした。今村が出た後、指導する清峰、山梨学院、そして対戦するチームにも今村ほどの投手は見たことがありません」と絶賛する。
ただ、入学当初からずば抜けていたわけではなかった。今村は小佐々中学校時代から評判の投手だったとはいえ、吉田監督からの目から凄さを感じなかった。吉田監督は2年夏が終わってから覚醒したという。
「体重は増えたのはもちろんなのですけど、人間が変わった感じですね。秋からセンバツにかけての成長がすごかった投手でした。自分がしっかりとやらないといけない自覚が芽生えたのか、目の色が変わり、取り組みぶりが大きく変わりました。私の中でも稀な成長パターンです」
体重は10キロも増量。2年夏に甲子園に出てきた時から大型投手であったが、高校生としては規格外の体型となり、150キロ近い速球を投げ込むまでとなった。
センバツでは44イニングを投げて1失点。吉田監督が語るように、別格という言葉が似合いすぎる実績だ。そもそも、この実績に並ぶ投手は松坂大輔投手(横浜出身)などのスーパー投手しかいない。吉田監督の表現は決して大げさではない。
「もちろんヒットを打たれて、走者を出すことはあります。それでも、ピンチの場面、ここは点は取られていはいけない場面では、絶対に抑えるだろうという信頼感はありました」
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山梨学院の吉田洸二監督(左)と吉田健人部長(右)
広島からドラフト1位指名を受け、2013年、最年少でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)代表となった。吉田監督は「高校時代から非常に完成度が高い投手ですから、あの年で日本代表になることは驚きはありません」と語る。
今村の活躍は後輩たちにとっても大きな刺激となっている。現在の山梨学院のエース・榎谷礼央投手(2年)は吉田監督から「全国舞台でも勝てて、プロも同時に狙える才能を持った投手」と評されている。スーパーエースになることを目指す榎谷は当時の今村の映像を見ているという。
「投球を見ても凄いですし、さらに自分とはガタイからまず違うので、食べて近づけられるようになりたいです」
今村は30歳で現役引退した。今は40歳になっても第一線でプレーする選手は多く、早すぎる引退という見方はある。今村は12年間在籍し、広島の3連覇に貢献し、WBCも経験。431試合にも登板。これ以上ないぐらい濃い野球人生を送り、実績を見れば、「別格」と評した能力は十分に発揮した。
第二の人生でも活躍を期待したい。
(記事=河嶋 宗一)