京都両洋vs鴨沂
自由奔放なスタイル
試合前の京都両洋ベンチ前――
次々に、京都両洋ナインが駆け出し、頭から滑り込んでいく。
緊張を解こうという儀式なのだろうか。気合は十分に見えた。
だが、その光景を見た鴨沂・市川潤監督は自信を深めたと、こう語る。
「相手は意識しているなと思いました。ウチに対してではなくて、初戦という舞台を意識している。だから、生徒たちには、相手には初戦のプレッシャーがある。このままだったら、行けるかもしれない。みんな自信を持っていこうと、声を掛けました」
この言葉から分かるように、京都両洋と鴨沂は全く対極にあるチームといえる。
京都両洋ナインは実に統制が取れている。眉毛は全員がおしゃれのようにキメてはいない、丸刈りも揃って五分刈りだ。ベンチ前のダッシュの際、ナインは帽子を脱いでいたが、その帽子はきっちりと並べられていた。
一方の鴨沂は、自由奔放なスタイルで個性が際立つ。髪型は丸刈りではあるとはいえ、長さはそれぞれ選手によって違う。3年生9人に、11人の下級生がのびのびとチームに溶け込んでいるのが見ていても、分かる。眉毛も、違う意味で整えられている。
善し悪しの問題ではなく、これは両チームのスタイルの違いなのだ。
市川監督は言う。
「厳しく指導する時もありますけど、練習では基本的に叱らないようにしています。イマドキの子にはのびのびさせてやった方が良いと思う。萎縮させるよりも、選手たちを前に出してやる方がいい」
試合は、鴨沂が先に主導権を握った。
2回表、センター前ヒットと犠打エラー、さらに犠打で一死二、三塁と好機をつかむ。ここでセーフティスクイズを二度成功させた。うち一本目が内野安打になり、2点を先取した。
守っても、先発の1年生・織作恭介は思い切り腕を振った。2回途中で降板したが、二番手の2年生左腕・平岡航も、物怖じはしていかった。2回裏に1失点するも、同点を許さない。3回裏を平岡の好投で三者凡退に抑え、序盤は鴨沂がリードしていた。
ところが、4回裏、京都両洋の反撃を受ける。
連打と四球で無死満塁。7番横垣勝太(3年)をファーストゴロに打ち取るも、鴨沂のファースト・北方勇真(3年)が後逸。二者が生還して試合をひっくりかえされた。さらに、犠牲フライで1失点。5回裏にも、二死一、三塁からダブルスチールで三塁走者の生還を許してしまった。
鴨沂は6回表に1点を返したが、7回裏に、京都両洋の菊地聖矢(3年)に本塁打を浴びた。
鴨沂が先制した試合で、京都両洋が逆転を許す。反撃を最小限に抑えられ、突き放される。普通なら、京都両洋が押し切っていくという展開になってもおかしくはなかった。
しかし、こんな展開でも、鴨沂ナインは下を向かなかった。
8回表、先頭の古田健人(1年)が二塁打で出塁すると、一気に活気づく。一死をとられるも、1番竹山倫生(3年)が左中間を破るタイムリー二塁打を放つと、ベンチは大盛り上がり。ベンチ内でガッツポーズ、ハイタッチを連発して、お祭り騒ぎになった。鴨沂の勢いが弾けた瞬間だった。
2番大嶋悦司(2年)が四球で歩くと、3番北方、4番小西貴裕(3年)は連続死球で押し出し。1点差とし、あと一歩まで迫った。
ノビノビとした自由奔放な個性あふれるプレースタイルが、こんな試合展開でも生きたのである。鴨沂のスタイルが結実した逆襲の2得点だった。
ところが、自由奔放なスタイルは一方で、落とし穴を持ち合わせていた。
気持ちが昂りすぎ、注意すべきことを怠ってしまったのだ。
一死満塁、5番高橋正樹(3年)を迎えた一打逆転の場面、二塁走者の北方が大きなリードをとっていたのだ。
これを、京都両洋守備陣が見逃さなかった。
絶妙なタイミングで、セカンドの松岡孝典(3年)が牽制に入り、二塁走者の北方は憤死した。
好機は続いたが、二塁走者がいなくなったことで、京都両洋のエース・横垣は腕を振った。スライダーが低めに決まる。これをワンバウンドになっても、キャッチャーの川勝雅広がしっかり止めた。連投のワンバウンドになるスライダーをー、高橋は2球続けて空振り、三振に終わった。あと1イニング残っていたが、勝負は決したようなものだった。
「バントの攻撃で2点を先制して思惑どうりに攻めることができた。でも、そのあと、ミスが続いてしまい、こちらがやろうとした走塁での得点を相手にされてしまった。ツメが甘かったですね。練習の差が出たのかなと思います」と振り返った市川監督。
自由奔放なプレースタイルがハマった落とし穴は、統制のとれた野球の前に、あと一歩及ばなかった。
とはいえ、昨夏4強の京都両洋を追い詰めての今日の戦いぶりは健闘ともいえる。鴨沂の戦いは印象に残るものだった。だが、市川監督は、大接戦をした満足感よりも、大魚を逃した焦燥感の方が大きいと、悔しさをにじませた。
「勝つつもりだったので悔しいという想いしかないです。鴨沂にとって53年ぶりのベスト4をと思ってやってきました。今年の3年生は入学してきた時に先輩が9人しかいないなかで、チームの土台として頑張ってくれた子たちでした。今年の1年生が活躍してくれたのも、1年の頃から試合に出ていた3年生がのびのびとやれる環境を作ってくれたからだと思う。それだけに……この3年生と3勝をあげたかった」
市川監督はそういって言葉を詰まらせた。
指揮官が涙と共に送り出した3年生の最後の戦いを、この日いた下級生のメンバーたちは、どう受け止めるのか。
自由奔放な鴨沂のスタイルのさらなる成長を見たいものだ。
(文=氏原英明)