城東vs阿波
阿波、痛恨の「敬遠時サヨナラ捕手ボーク」を考察する
公認野球規則
6.00反則行為
6.02投手の反則行為
(a)<8.05>ボーク
塁に走者がいる場合は、次の場合ボークとなる。
(12)故意四球が企図されたときに、投手がキャッチャースボックスボックスの外にいる捕手に投球した場合。
【注】”キャッチャースボックスの外にいる捕手”とは、捕手がキャッチャースボックス内に両足を入れないことをいう。したがって、故意四球が企図されたときに限って、ボールが投手の手を離れないうちに捕手が片足でもボックスの外に出しておれば、本項が適用される。
*すべて「公認野球規則」から転載
3回裏・城東が一死から9番・多田 温記(2年・三塁手・172センチ68キロ・右投右打・石井町立高浦中出身)の三塁打と内野ゴロで先制。しかし、阿波も4回表にすぐさま一死一、三塁から1年生4番・村田 和至(捕手・176センチ74キロ・右投左打・阿波市立吉野中出身)の技あり左前適時打で同点。以後は阿波・吉本 健人(3年・174センチ80キロ・左投右打・阿波市立市場中出身)と城東・大西 貴如(3年・182センチ70キロ・右投右打・徳島市立加茂名中出身)による粘り合いの投手戦は、9回裏二死三塁から冒頭に記した通称「捕手ボーク」により、本塁進塁権が城東に与えられる誰も予想ができない形で決着が付いた。
ただ、この「敬遠時サヨナラボーク」でボークが宣告されたのは「2球目」を投げようとする際。実は1球目の際から、ホームベース上では様々な想いが交錯していた。
1球目。あきらかにキャッチャースボックスから両足を一塁側に踏み出して敬遠球を要求した阿波の捕手。しかし、ここで主審・岡田 正幸氏がボークを宣告することはなかった。そして2球までは少し間が空いた、岡田氏の胸中を慮れば「次も同じようなことをしたら、ボークを宣告せざるを得ない。頼むから気づくか、ベンチから指示を出してくれ」と思っていただろう。しかし、2球目。再び阿波の捕手はキャッチャースボックスから両足を踏み出して敬遠球を受けようとした。
これではやむを得ない。ボークは2球目が投げられた直後に宣告された。これは「1球」の猶予を与えたにもかかわらず無知だった側の責任である。
ただ、阿波には取り返す機会がまだ与えられている。この城東戦ではスタメン9人中7人が2年生以下。2012年夏の甲子園・濟々黌(熊本)戦で第3アウトの振り替えを怠り敗戦につながる失点を許したものの、翌年夏・星陵(石川)戦で一死二、三塁での中飛で三走の本塁到達よりいち早く二塁走者のタッチアップ・三塁進塁を阻み、8強入りにつなげた鳴門の例もある。出場機会のなかった3人を含む3年生選手5名、マネジャー3人の無念に応える術は、心技体、そして頭脳も鍛えての躍進だ。
(レポート=寺下 友徳)
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