軸をつくる~5ポイント理論~
第3回 軸をつくる~5ポイント理論~2011年12月15日
日本人ならではの「軸」という考え方
【廣戸道場 廣戸聡一先生】
今回はこの連載のひとつのテーマともなっている「軸」について、詳しくお話ししたいと思います。
野球選手であれば一度は聞いたことがあるであろう言葉ですが、その定義ははっきりと語られていないような気がします。なぜかというと、その大きな理由のひとつに「目に見えない」ということがあります。
外から見ても、体を解剖しても軸は形になって出てきません。それでも軸は確実に存在し、野球にとって非常に大切なことだと認識されています。
少し話が逸れるようですが、実は軸という考え方は欧米にはありません。良くも悪くも欧米の選手たちは軸を意識していませんし、そもそもはっきりと意識することができないはずです。こういうと欧米人が劣るみたいですが、決してそういう他意はありません。むしろ日本人が、世界的に見ても特殊な文化を持っていて、非常に情緒的で思慮深い民族だということなのです。
“根性”や“気合い”という言葉も欧米人にはクレイジーと感じるようですが、日本人にとってはある種の美徳のようにも語られます。それらは形になって存在するものではありませんが、私たちにはイメージという形になって見えているのでしょう。目に見えないものを見る。そんな独特な文化が、軸に関しても同じことが言えるわけです。
身分制度から見る「軸と姿勢」
【体の軸について説明する廣戸先生】
もう少し、日本人と軸に関して触れていきます。軸というものの歴史を考えると、もっとも顕著に生活に見られるようになったのは「士農工商」という身分制度ができた頃でしょう。もちろんそれ以前から概念自体はあったようですが、生活に反映されてきたという意味では、武士が世の中を統治し始めたことに大きな意味がありました。
江戸時代、世は泰平です。武士たちは日々鍛錬にいそしんでいたのでしょうが、毎日毎日せっせと働いている農民や商人と比べると、体の強さという意味では負けてしまうかもしれない。もしも数に勝る庶民たちに蜂起されたら…なんとか武士の威厳を維持しなくてはいけない。そこで考えたのが「所作」でした。
武士の所作は堂々と、かつ動きやすいものが多いのに対し、庶民たちの場合は動きを抑制されるようなものでした。足をぴったりと閉じ、手は体の前で組んでいる。まるで拘束されているような姿勢を取らせ、挨拶を求めたわけです。一度試しにやってみるとわかりますが、手足をぴったりとくっつけた状態で座り、ノーモーションで立ちあがってみてください。逆に足を腰幅に広げ、手を体の横に置いて立ち上がる。どちらが動きやすいか、納得してもらえるはずです。
武士は軸をもった所作をし、かたや庶民は軸を失った所作を強要された。臨戦態勢を取って、いつでも刀を抜ける武士に対して、庶民はノーガードなわけです。勝負をする前から勝負にならないよう「しつけ」をしていたのです。ここから見えるのは、いかに日常の生活が重要かということです。先生や監督から言われる、「きちんとしなさい」という言葉の意味が、少しわかってもらえるのではないでしょうか。
■ 次回の廣戸聡一の4スタンス理論の公開は2011年12月22日予定です。お楽しみに!