帝塚山vs山辺
紆余曲折を乗り越えて立った開幕戦のマウンド
逞しかった。
奈良大会の開幕マウンドに立った男は堂々としていた。
山辺の先発・中窪竜は紆余曲折を乗り越え、この日を迎えた。
原田亮監督は言う。
「うちに入学してくる子の多くがそうなのですけど、中学時代は不登校だったり、マイナスな面を抱えている。中窪はその一人なのですが、3年間で大変身しました。めちゃめちゃ成長しました」
中窪が成長したのは技術的ではない、人間的な中身だ。
「中学時代は学校にもいっていなくて、全然ダメな人間でした。高校で野球を通じていろんなことを学びました」 と中窪は話す。
中窪が学んだのは続けることの大切さだ。
中学時代、中窪と同じように不登校だった西井鴻希とともに、1年春から朝練を始めた。
朝練と言っても、参加するまでが一苦労。というのは、中窪の自宅のある柳生からは山辺までは自転車で2時間もかかる。2年時の一年間は、原付(原動機付自転車)を使うときもあったが、その時期を除いて中窪は自転車2時間の距離を通い続けたのだ。
「朝練は基本的には走りこみ。西井がやろうと言ってくれたんで、ずっと続けて来られた」と話してくれた中窪。
試合は1、2回とも、走者を出しながらも無失点に抑える好スタート。3回にはスクイズで1失点するも、4回は、自らのダイビングキャッチで併殺打を取るなど、マウンド上で躍動していた。
しかし、5回に崩れてしまう。突如としてストライクが入らなくなり、3連続四死球。ここでマウンドをエースの長谷川崇典に譲った。
長谷川がこのあと、2連続押し出しなどで3失点。以降も、6回に5失点、7回にも2失点、試合は決してしまった。
「まだやりたかった。負けたので悔いは残っています」と中窪は語るが、その表情に暗さはない。
自分の成長を感じていたからではないだろうか。
「中窪にはよく怒りました。『新しい自分を作るんや。挑戦するんや』っていうてね。中学時代の彼からすると、ビックリするんじゃないでしょうか。体も大きくなりましたし、成長しました。野球だけじゃなくて、学力もトップですし、すべてにおいて変わった」と実感する原田監督。
中窪自身も手応えを口にする。
「原田監督からは『お前は俺が怖いんじゃない、お前が弱いだけ』やと言われてきました。継続は力なりということを学びました。これからは、どんなことからも逃げずに全力でやっていきたい」
高校野球の結果が何かを導いてくれるわけではない。
この日の中窪は投げ負けた。
勝利を失ったが、しかし、彼はそれ以上に大きなことを得たに違いない。最後の夏にマウンドにあがり、逞しい姿を見せつけたのだ。
今大会開幕戦のマウンドにふさわしい男だった。
(文=氏原英明)